○森山委員長
次に、藤村修君。
○藤村委員
民主党の藤村修でございます。松本剛明委員の関連質問という形で、ほぼ三十分ぐらいしかございませんが、質問をさせていただきます。
まず、私は、きょうは政府案にのみ質問をさせていただきます。
愛国心論争がたけなわというか、始まったということであろうと思います。私、まず聞きたいのは、愛国心については、もう御承知のとおりではありますが、既に学習指導要領においてもきちんと書き込まれております。今、これは一番新しい学習指導要領、御存じのとおりでありますが、これは小学校の学習指導要領ですが、ここの例えば第六学年、社会の目標(一)に、「国を愛する心情を育てるようにする。」と書いてあります。あるいは小学校の五、六年の道徳でありますが、「郷土や国を愛する心をもつ。」と書いてあります。
つまり、教育の分野ではもう既に、これは当然のこととして学習指導要領の中で取り組まれているわけで、私も当然、この国を愛する心を、日本に生まれ育ち、学び、そんな中で自然な結果として持つことは当たり前の話で、ただ、そうした心が決して上から強制されて身につくものではないし、一方的に上から押しつけがあってはならない、このことは考えております。
既に学習指導要領において書いてあるのに、今回改めて全部改正の中の「教育の目標」の中に記述したというのは、どんな意味と効果と、さらに、では今後、学習指導要領をこれでまたさらに書きかえるのかということと、あるいは評価をするようになるのかということについて、これは文科大臣の方からお答え願いたいと思います。
○小坂国務大臣
御指摘の学習指導要領におきましては、例えば小中学校を通じて、我が国の国土や歴史への理解を深めまして、愛する心と国家の発展に寄与しようとする態度とを一体として育成することとしているわけでございます。
今回、教育基本法におきましても、新しい時代を切り開く教育を実現する観点から、特に重要な事柄であります我が国と郷土を愛する態度について規定することといたしまして、各学校において改正の趣旨を踏まえた指導の一層の充実を期することとしたものであります。
○藤村委員
今のことで、評価のことをちょっと飛ばされたかと思います。これは、今回基本法に書き込んだことで、学習指導要領においてさらに書き加えられたりし、さらにそれが何か評価につながるということはないのかということでありますが。
○小坂国務大臣
具体的な指導はどのように行うかといいますと、先ほども一部、他の委員の質問で申し上げたわけでございますけれども、我が国の歴史の中で我が国に貢献してきた偉人や地域に貢献した人々について学んだり、地理について勉強をしたり、世界の中における日本の位置づけ、あるいは世界で活躍する日本人等について学ぶことによりまして、そういった事柄を通じてこの目的を達成していこうということでございますから、この具体的な方法については、基本的には学習指導要領において、今日の学習指導要領と大幅に変更するものではございませんけれども、しかしながら、本法律の成立に伴いましてもう一度各種学習指導要領を精査いたしまして、必要な改正があればそれをやっていこう、こういうことになるわけでございまして、この部分につきましては、教育の推進基本計画の中でまたこれを規定して、そのように学習指導要領も対応していく、このようになると思うわけでございます。
○藤村委員
愛国心論争は、先ほど来は実は、心、一番下の心、あるいは態度かという話がございました。総理、ちょっとこれは聞いておいていただきたいんですが、もう一つ、愛するという言葉か、自公の協議の途中で報道されたのは、大切という言葉もあったわけですね。
これは実は、ここにお持ちした最新の学習指導要領というのは平成十年告示なんですが、この十年前の平成元年告示の小学校の道徳のところでは、「国を大切にする心をもつ。」と書いてあるんですね。これは、今最新の平成十年の告示の学習指導要領においては、全く同じ場所が「国を愛する心をもつ。」と。大切が愛するに変わったんですね。
これは学習指導要領の話ではありますが、自公の協議の途中でも、大切という言葉はいけないのかという議論があったようで、今いらっしゃる安倍官房長官は、いや、消しゴムを大切にするのと国を大切にするのとは違うというふうな、これは報道で聞いただけでありますが、そういう議論もあったと聞いております。
総理、これは、大切と愛するとは大分違うとお考えですか。
○小泉内閣総理大臣
大切にするというのは愛することにつながる、愛するというのは大切にすることである、どういう違いがあるんですかね。物を大切にする、骨とう品を愛するという人もいますからね。言葉遣いというのはなかなか難しいと思うんですね。私はあの人を大切にしたい、あの人を愛する、余り違いがあるとは思わないんですけどね。
○藤村委員
小泉総理の感覚はそのとおりだと思います。しかし、これは教育にかかわる法律で、やはり言葉は本当に大切にしないといけないですよね。
そこで、一五四九年、キリスト教が日本に伝わった。鹿児島、島津藩主がフランシスコ・ザビエルを迎え入れ、布教を許した。そのときに実は日本に初めて西洋の言葉が入ってきたんですが、これがポルトガル語なんです。総理はおととしブラジルへ行かれて、あそこもポルトガル語であります。猪口大臣も、たしかブラジルで小学校、中学校を暮らされたのでポルトガル語が堪能だと思いますけれども、実は、日本に西洋の言葉が入ってきたのはポルトガル語が初めて。だから、今でもパンとかカステラとかじゅばんとかありますよね。
かつ、キリスト教の宣教師ですから、最も大切な言葉というのは、大事な言葉というのは、まさにキリストの愛を伝えることですよね。そのときに、では彼らは愛をどう伝えたか。これは、ポルトガル語ではアモールですよね。アモールを、そのときに日本語に、大切と訳した。これは、動詞はアマールなんですね。アマールは、大切に思うと訳した。すなわち、大切で全然いいわけです。しかし、どっちが、まあ総理はどっちも一緒だとおっしゃったので、その論争は不毛であった、私は、自公協議の中でそういう論争がされたということを聞いたものですから、不毛な論争をされたなと思うんですが。
このことは、ですから、今からまさに政府が出されたこの法律を審査するに当たっては、特に教育の問題ですし、我々の提出した基本法においては国語力という言葉も実は中に入れておりまして、本当に言葉を大切にしながら、大事にしながら審議を進めていきたいな、そんな思いをお訴えしたいと思います。
次に、ちょうど先週でした、我が党の小沢代表と小泉総理大臣との党首討論。この中で、ちょっとかみ合わなかったと思うんですが、例えば、我が党小沢代表は何回か聞き直しているんですよね、一つのことを聞いているんだけれども、なかなかうまく答えてもらえなかった。「教育行政の問題、この教育の問題がやはり大事」だと。「そういう意味で、多分与党も教育基本法の改正ということになったんだろうと思いますが、現在、教育の基本的な責任は、総理、どこにあると思いますか。」という問いに、冒頭、「私は、基本的に親にあると思っているんです。」ということからずっとお話をされた。
しかし、ここは今、親にあること、我々も基本法に、第一義的に親にある、特に幼児期の教育はですね。ですが、法律で教育のことを論じるんですから、そして、政府は法律を出してこられているんですから、これはそこから先の、まさに国や地方公共団体が行う教育のことを聞いているし、それに答えていただきたかったというわけです。
先ほど河村委員が、どうも国の責任はもっと明確にすべきではないかというお話でございましたし、我々もそのとおりだと思っております。
特に義務教育、今では、小学校六年、中学校三年、九年間。この義務教育というのは、国もいろいろな法律をつくってそれなりに責任を果たしているとは思うんですが、しかし、最終的にだれが責任を持つかというところが、先ほどの総理の答弁は、国や地方公共団体や学校や地域やと、何かどうもあいまいであると思うんですね。それは、やはりこの仕組みの問題、まさに教育行政の問題だと思います。
一番身近で私が通う小学校は、大阪の吹田市で、吹田の市が設置しています。ところが、運営に関しての責任というと、今度は市の教育委員会であります。そこの先生はというと、今度は大阪府の職員であります。そして、それらの教員や職員や学校の費用は、国と地方と、何か市町村も含めて分担している。ということは、責任の所在が本当にあいまいになってきたことが、このたびのというか、今回のというか、改正につながる大きな理由の一つだと私どもは思っております。
そういう意味では、構造的改革、お好きな言葉、構造改革が必要なのではないか。その際に、やはり一番の責任は特に義務教育においてはどこにあるか、このことをちょっとお答え願いたいと思います。
○小泉内閣総理大臣
国としてだれでも教育の機会を与える、特に義務教育、無償である、国が責任を持つということは、私は政治ではっきり理解されていると思っております。
その際に、国と地方公共団体の役割、今藤村議員が言われたような、教育委員会と学校と県と市町村、この役割が不明確だという話もありましたけれども、これは今後整理されるのは結構だと思いますけれども、基本的に、政治で教育を重視する、義務教育が無償である、すべての人に、教育を得たいと思う人にはすべてその門戸を開放する、受けられるようにする。これは政治で一番大事なことだと私は思っているんです。
だから、法にあるのと、政治というのは法だけの問題ではありません。そういう点はよく勘案しながら、政治面におきましても教育の重要性をよく認識して、費用の点でどこがお互い負担するかというのは今までの議論でもありました、地方分権の中でも。今後、今言われた点も含めて、よく整理されるのは有意義なことだと私は思っております。
○藤村委員
政治はやはり具現化するために法をつくっていく。だから、国会で立法機関としてこれをやるわけですね。
かつ、もう一つ申し上げると、今義務教育という限定をしているんですが、これは憲法の中でまさに無償とある。だから私は、最終の責任というのは、やはり一つはお金というか、無償というまさに経費の問題であります。それから、もう一つあるとすれば、まさに教育内容などではなくて、教育行政の仕組みをきちっと国がつくるということ。それから、機会均等という意味では、学習指導要領のような一つのスタンダードというのはやはり国がつくるのではないかと思いますが、何より大事なのが、だれが負担するか、まさにお金の話を国が最終的に我々は責任を持つべきだと考えております。
ちょっとパネルを出していただきます。これは、お配りしている紙もあると思うんですが、よく文部科学の委員会では出てくるパネルでございます。
義務教育費用というのがどのくらい、これは総理も余り細かくはふだん承知されていないかもしれませんが、義務教育にかかる全体の日本のまさに予算というのはどういうふうに使われているかというと、総額は十兆二千七百四十八億円。これは平成十五年度の決算ベースでありまして、ちょっと古いんです。
この役割分担、負担の割合というのは、国が三兆円弱で三割、都道府県が四兆三千億、四割、市町村が三割。
だから、国がときょうまで結構言ってこられた文科省も、実は義務教育に関して、憲法に定める無償を、国はこの三割負担です。三割自治という言葉がありますが、実は国が三割で大きなことをきょうまで言ってきたのではないかなというぐらいに、これは三、四、三という比率であります。
それから、ちょっと下、内訳を見ていただくと、やはり教育というのは何にお金がかかるかというと、七五%、四分の三が人件費であります。このことをちょっと頭に入れていただければありがたいんです。
先ほど来、OECDのいわゆる対GDP比の話がございましたが、これは、日本は教育財政に対しては三・一%でした。五百兆円としたら十五兆円ぐらい。しかし、そのうちの十兆円を超える額を義務教育に投じているわけで、これは憲法にある無償ということにつながっているんだと思います。
その意味で、私どもは、国の責任は最終的に、国や都道府県や市町村がそれぞれ分担するのではなく、少なくとも、この大半、四分の三を占める人件費、七五%です、これをやはりきちっと国が確保する。なぜなら、これらの原資というのは全部税金でありますから、それを何か使い分けして、そのことで、連携をして何とかかんとかいいながら、責任の所在があいまいになっている。
このことについて、総理の御見解をお伺いしたいと思います。私どもは、まさに国がお金のところはきちっと総額を確保するという意味で、それが国が責任を持つことではないかなと思っております。
○小泉内閣総理大臣
藤村議員の考え方とは違う考え方を地方は持っているんですよ。今までのいわゆる補助金の改革、税源移譲の改革、交付税の改革の中で、地方は、それを地方に渡してくれと言っているんです。
そこら辺は、与野党で入りまじった議論があるんです。与党の中においても、野党においても、違う意見と同じ意見があったんです。国が責任を持つべきで、教育費は国が全部持って、その中で地方がやるべきだというのと、地方団体の多数意見は、いや、教育費ということを分けないでいい、全部与えてくれれば、公共事業に全部使うなんというのはあり得ないと。地方だって選挙があるんだ、教育を削ってほかの予算に回している市長でも県知事でも、支持されるかどうか。わかってくれば住民が判断することだ、教育を重視する知事なのか、市長なのか。だから、国が全部を持つ必要はない、教育であろうが公共事業費だろうが福祉の関係費だろうが、全部地方に渡してくれというのが地方側の多数意見だったんです。教育費だけ国が持てというのは、中にはありましたけれども、それは多数意見ではなかったんです。
だから、国の役割、地方の役割、お互い教育には責任を持ちますけれども、全部費用を国が持てば責任を持ったのか、地方に渡すことによって国が責任を放棄するかという問題でもないと思います。これは、今後の教育のあり方においても大きな議論になると思っています。
○藤村委員
これは平成十五年度の決算ベースで書いてありますから、国三割、三兆円弱。
実は、つい、この国会の冒頭の方で、前半で、義務教育費国庫負担法という法律の変更をしまして、国の負担を二分の一から三分の一に減らしたんです。これは御承知のとおりです。そのときに小坂文部科学大臣は、苦渋の選択とおっしゃったんです。やはり国がもうちょっとちゃんとすべきという文科省のお考えにもかかわらず、三位一体、行革論争の中で地方へ譲った。
でも、考えてください。これは、原資は、何か三つから来るわけじゃないです、税金です。実は、地方といってみても、要は国が手当てする地方交付税交付金、こういうものを充てていくわけで、つまり、元締めはやはり国なんですから、そこは国がきちっと。我々は、財政を地方が自主的に使えるという意味で、今文科省がやり出した総額裁量制というのは、これはある程度支持しております。ただ、もとをきちっと確保する、それがどこの責任か。地方じゃないんです、国なんです。このことを訴えたいと思います。(発言する者あり)もちろん地方税も入っております。
それから、さっき、与野党でこの論議は分かれているというふうにおっしゃいましたが、少なくとも民主党は、今回、法律を基本法で出しましたので、分かれておりません。普通教育は国が最終的に責任を持つと一行ちゃんと書いてありますので、民主党は分かれておりませんので、その辺は誤解のないようにしていただきたいと思います。
さて、もう一つ、時間がもう余りないところでございますが、宗教教育についてお尋ねをいたします。
今回、政府の全部改正案では、「宗教に関する一般的な教養」を追加しただけですよね、現行法から見れば。ですから、今の「宗教に関する一般的な教養」という言葉を追加したことで一体何がどのように変わる、どんな効果があると予測されているのか。それから、このことで、学習指導要領というのはどういうふうに具体的には書き直す方向であるのか、いや、今のままであるのか。その辺は文科大臣にお答えを願いたいと思います。
○小坂国務大臣
今御指摘のように、「宗教に関する一般的な教養」という表現で宗教教育について規定をするわけでございますけれども、現在どのように行われているかということにつきましては、小中学校の社会科、そしてまた高等学校の地理歴史、公民、これらの授業において指導が行われておりまして、例えば歴史における宗教の役割や影響、それから世界の宗教の分布などが取り上げられているところでございます。
今後、改正の趣旨を踏まえまして、学習指導要領の見直しを検討するなど、宗教に関する一般的な教養についての指導が各学校において一層適切に行われるようにしてまいりたい、こう考えているところでございまして、宗教教育についてどのように変わるかということで申し上げれば、基本的には、今申し上げたような具体の指導を行うことを今後とも継続する中で、学習指導要領の見直しをする中で、必要な部分が出てくれば、その部分について検討をさせていただく、こういうことになると思っております。
○藤村委員
「宗教に関する一般的な教養」のみをつけ加え、しかし、中教審答申において、ぜひとも規定すべきというふうな、割に強い言い方で答申された「宗教の持つ意義を尊重することが重要」、これを飛ばされた、それはなぜですか。
○小坂国務大臣
人間が与えられた命をどのように生きるか、こういうことは、やはり社会生活の中で大変重要なことでございます。
今日、社会のいろいろな事件の中で、命というものの大切さというものがどうも軽んじられているのではないか、そういった社会事象が見られる中で、私どもとしては、そういった宗教の果たす役割、社会的な役割というものを知っていただくこと、また同時に、他国に対する理解を進めようとした場合に、その民族の背景にある宗教というものをやはり教えないわけにはいかない。そういったことから、国際社会における理解の促進を図る、こういったことも踏まえまして、宗教に関する一般的な教養というものをしっかり持っていただこう、こういうことにしたところでございます。
○藤村委員
一般的な教養というときには、今小坂大臣おっしゃったような、生と死の云々とかいうことは全然入りませんよ。つまり、キリスト教はいつどういう方がやってきてという事実、これが一般的教養であろうと思うんですね。
だから、中教審答申では、「宗教の持つ意義を尊重すること」というのは、これはもちろん尊重するので、教えろとか教えないじゃないんですが、もう少し宗教の意味ということ。これは、我が方、私ども民主党案では、「生命及び宗教に関する教育」という形で、第十六条なんですが、その最初に「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」としたところで、その後に宗教のことを書いております。これは、問題意識は一緒なんです。
長崎において、教育委員会の方が千人ぐらいの子供たちの調査をされて、今の子供たちは、まあ長生きになったということもあるんですが、割に家族の死というものに接しないで育ってきている、身の回りで死を余り体験していない。ですから、非常にちょっと不思議な数字というか驚くべき数字なんですが、これは千人の調査の中で、小学校の四年、六年、中学生ということですが、その中で、中学生では、人間が一度死んでもまた生き返ると思っている方が一八・五%、五人に一人ぐらいは、人間はまた生き返ると思っているようです。
これは、我々も今回の基本法に書きましたけれども、インターネット社会における仮想情報空間という難しい言葉があります。そんな中で、何かゲームではリセットしたらまた生き返るんですよね。だから、やはり本当にここは最も深刻で大事なところなんです。
しかし、単に現行法の宗教のところにちょこっと一般的教養を入れられただけで問題は全く解決しないんです。我々は「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」とし、それから、情報社会に関する教育のところでも、インターネット社会の仮想情報空間での、まさに光と影の部分をきちっとこれは基本法にうたって今後やっていくべきだという、新しい二十一世紀型の考えを示したところでございますが、小泉総理のお考えをお伺いしたいと思います。
○小泉内閣総理大臣
一度人間が死んで生き返ると思っている子供たちが一八%、二割近くいるというのにはちょっとびっくりしましたけれども。霊魂は不滅だということはあります、面影の中でずっと生き続けるというのは理解できます。しかし、一度いわゆる肉体的な死が訪れれば再び生き返ることはないというのは、私はこれはもう子供でも理解していると思ったんですが、そこはちょっと認識不足だったかなと思います。
そういう点、やはり命の大切さ。映画やテレビゲームの中で出てくるように、一度死んだ人間がまた生き返ってくるということはないんだというようなことについては、やはり今のさまざまな時代の変化なのかなと思う面もあります。そういう点について、宗教というのはそれぞれ人の心のありようですから、私は、宗教心を持つということは大事だと思っています。
それは、人間は万能ではないという、自然に対する恐れ、畏敬の念を持つ。人間よりもっと大きな力があるんだ、人間というのはこの地球の中で生かされているんだ、多くの人々によって支えられているんだ、人間が万能ではないというのは、やはり宗教の持つ大きな力もあるんじゃないかと思っておりますので、それぞれがどういう宗教を持つ、信条を持つということは自由でありますけれども、そういう点も教育の中で、子供たちに命の大切さ、お互いを尊重し合うということを教えていくことは大事だと思っております。
○小坂国務大臣
今、総理からお答えをいただきましたように、私も、子供たちが生きることのとうとさや死の重さということをしっかり把握していただくことは重要なことだと思っております。
このために、現行の学習指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間において、命はかけがえのないものであること、これを知って、また自他の生命を尊重すること、そしてまた人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、これらは指導しているところでございます。
このように、生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを理解し、そして尊重する態度を育てるための教育を行ってきているところでございまして、今回の法案におきましても、第二条の第一項において豊かな情操、そして命をたっとびということが規定をされているところでありまして、こうした改正の趣旨を踏まえて、これまでの指導を基盤として、このような教育が各学校において一層適切に行われるように私どもも努めてまいりたいと存じます。
○藤村委員
もう時間が参りますので、あとの質問はまた次回ということになろうと思いますが、最後に申し上げたいのは、きょう、冒頭からも幾つかの議論がございましたが、長い間議論してきたということは、中教審であれ、文科省であれ、あるいは国会議員の間であれ、それは専門家の間でされてきたことを認めますが、しかし、この教育基本法の問題はまさにきょう審議がスタートをし、あるいは私どもが提案した案もスタートするわけであります。かつ、文部科学省なり政府の見解で、教育基本法というのは憲法に準ずるぐらいの非常に重要な法律案であるということは、もう皆さんお認めであります。
となれば、かつて国会で憲法調査会を衆参に置いて、それぞれ五年間調査をいたしました。その後に、今は特別委員会に切りかわり、今度は具体的な憲法の問題に入っていこうとしているわけでありますから、そういう意味では、教育基本法がそれに準ずるぐらいの法律であるならば、ぜひともこれは教育基本法に関する調査会を設け、まさに与野党で、これは総理大臣おっしゃるとおりであります、与野党で本当に一、二年の議論をしていこうじゃないですか。そのことを最後にお訴えをし、質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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