第165回  06年10月20日

 伊吹大臣の所信に対する質疑

文部科学委員会

 

○桝屋委員長

次に、藤村修君。

○藤村委員 

伊吹文部科学大臣には、この国会から、文部科学の責任者として、また安倍内閣では最重要とされる教育の問題について、大臣に御就任されたということで、大変だとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

民主党の藤村修でございます。私もこの国会から民主党における文部科学の担当の部門の責任を担うことになりましたので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

きょうは、そういうことから、冒頭の伊吹大臣の大臣所信に対する質疑ということで、余り細かいことは伺いません。非常に基本的なお話のみにさせていただきたいとは存じます。ただし、今の鈴木委員あるいは遠藤委員からもございました、いじめ、自殺の最近の問題についてはちょっと触れておかねばならないと思います。

福岡県の筑前町、中二男子、それから北海道滝川市、小六女子、これは去年の話であった。いずれも自殺された。大変ショッキングな事件でございました。さらに、報道が相当大きく取り上げる理由は、今日までの子供たち同士のいじめとは違って、どうも今回は教師の問題があったのではないか、あるいは一方で、もう一つの方は、何か教育委員会のその後のいろいろな隠ぺいがあったのではないかという、多分ちょっと違った観点からの報道の取り組みだと思います。

先ほど鈴木委員の方からは、対応等をお伺いになったので、私の方からは、一問だけお伺いしたいと思います。

昨日も、全国の教育委員会の担当課長を集めて、文部科学省からさまざま説明をされたりお願いをされたりということでありました。そのときの資料はこれだけの分量になりますので、この中身を拝見いたしまして、非常にきちっとした中身であるなと思います。

ただ、これだけのものが、地方からいうと、お国から下がってきた、これを一生懸命また勉強して、これを都道府県教育委員会、きのうは都道府県教育委員会ですから、今度はまた市町村教育委員会に、そして今度はまた市町村教育委員会は学校現場にということで、順に送られていくんだろうと思います。

私が思うのは、そもそも学校の子供たちの教育の問題は一体だれが最も近いところにあるかといったら、それは学校であることはすぐわかるわけです。ですから、いわゆる関係部署、学校そして地元の教育委員会、県の教育委員会、そして文部科学省という中央の役所、それぞれの役割とその責任というものがどうもあいまいなままで今日まで来ているのではないか。

それは、私どもが提出をいたしました日本国教育基本法において、割にはっきりと、義務教育においての国の責任、普通教育における国の責任はこうこうこうだ、それから、大半の責任はやはり地方に持ってもらうんだという、その両極にある程度分離をした基本の政策を打ち出しておりますが、現時点での学校、地元教委、県教委、文科省、それぞれの役割及び責任を伊吹大臣はどのようにお考えか、お聞かせ願いたいと存じます。

○伊吹国務大臣

私は、いわゆる族議員的にこの分野の専門家ではございませんが、文部科学省へ行ってみまして、今先生が御質問になったことを私も同じように痛感いたしております。

法律によりますと、やはり文部科学省というのは、基本方針を決めて都道府県及び政令市の教育委員会に助言、指導を行う。そして、都道府県の教育委員会は、それを受けて政令市を除く市町村の教育委員会に同じような指導、助言、援助等を行う。そして市町村の教育委員会は、小中学校の設置と管理を行う。それでもって、設置された学校において、校長が管理権を持ちながら、教諭は児童の教育をつかさどる。これは、法律的なそっけない説明になっちゃうわけですね。

実際はそれがどう動いているかということになりますと、福岡へ行った場合にも、直接その小学校へ文部科学省の人間が権限として行けるかどうかということになってくると、今先生がまさに御質問になったように、教育委員会に対して調査をする権限はある、教育委員会と御一緒に学校へ行くことはできても、直接学校へ行くことはできないという方向性になっておりますね。

そして、これは国会がお決めになったことですが、地方分権法のときには、文部科学省が持っていた改善措置命令という権限を外してしまったわけですね。例えば、地方の自主性をしっかりと認めるということと、国が義務教育として最低限のことを保障する権限を保持するということは、二律背反的な面があるんですね。

やはり私は、今の法律では私が説明したようなことだと思いますが、今後、教育基本法の議論の中で、民主党さんも今のままではよくないと思われるからこそ対案をお出しになっているわけで、双方の議論を国民の前に国権の最高機関としてさらしていただいて、お互いに、これから日本を担う児童のためにいい結論が出るのならば、そこは話し合って、審議を進めていけばいいんじゃないかと私は思っております。

○藤村委員

伊吹大臣も問題意識をお持ちの中で、つまり、今のままのこの教育行政全般についての責任の所在であったり、あるいはだれがどのように役割を果たすのであったりがあいまいであるということの認識をお持ちだということでありました。そのことは、長年やってきて、どうも無責任体制がだんだんに充満してきているということの一つの結果というか一つの兆候として、今こういう問題が起きているということが言えると思うんですね。

ですから、この際に、教育再生を考えられるわけですから、地方教育行政という分野、この点ではだれがどのように責任を持つのか。さっき伊吹大臣が、文科省において職員の皆さんに、最終的には私、大臣が責任をとると。つまり、そういうきちっとした、文科省の中では大臣が責任をとる、それはそのとおりなんですし、そういうまさにリーダーシップを持ちながらやっていかないといけない。

私は、このいじめ問題だけでなしに、やはり教育そのものが、特に学校教育においてはということでありますが、地域と学校と家庭との連携、ずっとこれは言われているわけですが、これが本当にうまく連携していない。仮定ではありますが、そこに弊害がもしあるとして、どうも教育委員会が邪魔しているんじゃないかとか、場合によっては文科省が口を出し過ぎているんじゃないかとかということも感じる部分がありますので、この役割分担あるいは責任分担の整理は、別な委員会になりますが、ぜひとも基本の問題として議論をしていただいたらと思います。

私たちの主張は、今までの四段階ですか、国、都道府県、市町村そして学校、もう一つ言えば家庭とありますが、これの役割分担をできるだけ、本当に子供にかかわることは家庭、学校、地域という一番近いところ、そしてスタンダード、標準、あるいは、伊吹大臣は財政、経済にお詳しいわけですが、やはり財政の問題、この教育費、先ほど義務教育で全体で十兆円とおっしゃいました。すなわち、その大きなお金の確保とか、これはやはり国がきちっと責任をとる。そういう両方にきちっと分担をしていけば、中間的な教育委員会は不要になってくると私は思っておりますが、別な委員会ではありますが、そういう一つの議論をぜひともしていただいたらと思います。

それで、教育基本法の話が今ちょっと大臣からも出たものですから、ちょっと質問順番を変えまして、通告書でいいますと三番になります。ここで教育基本法の中身を詳しく論じようとは思いません。ただ、ちょっと大臣の発言で、私気になりましたので申し上げたいと思います。

九月二十六日に大臣が任命されて、その日の多分夜なんでしょうか、文部科学省における大臣記者会見がございました。このとき、幾つかのことをおっしゃっているわけで、最初の思いを述べられたという意味では非常に重要な部分であります。

教育基本法の改正について、成立時期などを含めてどのような考えをお持ちでしょうかという質問があったから答えたということだろうと思いますが、普通、この程度のボリュームの法案であれば、大体七十時間から八十時間も審議すれば十分ですとお答えになったわけですね。この日は、まだ衆議院の、つまり国会の側の議員でありながら、大臣になったばかりですから、その頭の仕分けがなかなかいっていなかったと推測はするものの、しかし、政府が出してきた法案の審議を、国会で七十時間から八十時間審議すれば十分だというのは、これは国会軽視甚だしいんじゃないかということで、真意をお伺いしたい。

○伊吹国務大臣

私は、今は行政権を持っております内閣の一員でありますから、提出した法案については、国会で御審議をいただく、国会の委員会の御指示に従いながら答弁をしていくというのは当然のことであります。しかし、議院内閣制の建前からいって、私は、国民に選ばれた国会議員であることもまた事実です。

私は、さきの国会で行政改革特別委員長をしておりましたが、これはもう日本全般にわたる広範な行政のあり方を、委員長も理事として御協力をいただいたわけですが、これで大体六十三時間なんですね。ですから、日本の教育の根幹にかかわる理念法としての教育基本法程度のボリュームの法案であれば、一般論としては、八十時間以上審議をしているという例は私の二十二年間の国会議員経験の中ではほとんど見当たらないということを申し上げた、一般論として申し上げたと御理解いただけたらありがたいと思います。

○藤村委員

御理解いただけたらということで、理解できません。

まず、七十時間から八十時間で十分だと、いや、そのぐらいの審議でお願いしたいというその姿勢が必要だと思いますよ。今度は提出者の文部科学大臣ですからね。

それで、もう一つ。私、今読み上げましたのは、冒頭に、この程度のボリュームということでございました。今、そのボリュームの内容を、ちょっとこの前の行革特のことでおっしゃっていたんだと思いますので、これは、いわゆる議員の、私、伊吹大先輩に国会における審議の問題について伺いたいんですけれども、まず、ボリュームというのは分量という意味でよろしいんでしょうか。

○伊吹国務大臣

  法案の条文のボリュームと、そのボリュームの中に含まれている国家的な大切さと両方あると思います。

○藤村委員

委員の皆さんも、あるいは基本法の特別委員会でもしょっちゅう話題にされることが、憲法に次ぐとか、憲法付随のとか、憲法従属法だとかという言い方をされる教育基本法でありますから、そのボリュームの中に価値というか重要度がもし入っているなら、これは大変重要な法案であるということはお認めになりましょうか。

○伊吹国務大臣

これはもう当然そういうことでございましょう。そして、既に各先生が審議をなさった五十時間の議事録を私はみんな読んでみましたけれども、御質問の内容その他について、やはりその重要性、ボリュームにうまく合致しているだけの御審議は十分行われていると思いますし、同じ問いが二度、三度、四度と出てくることもまた事実でございます。

○藤村委員

まず、ボリュームの中に含まれる意味で、その重要度というのはお認めになる、こういうことでございますね。

比較するまでもなく、憲法論議もされておりまして、これはもう五年間、衆参で調査会をつくってずっとやってきたわけで、今やっとその手続法のところでどうしようかというところに差しかかったばかりでありますから、もう六年目ですね。それに従属するという意味では、一年や二年の話ではないのかという、価値から見ればこういうことであろうかと思います。

それから、もう一つのボリュームというのは分量という意味でありますと。

私も内閣委員会で携わったんですが、国旗・国歌法、これはなかなか今の価値の部分では重要な法案でございました。だから、相当慎重に審議されたんですね。ただ、分量という意味では、国旗・国歌法、施行は平成十一年八月十三日でありますが、二条の法案でございます。読んでしまってもすぐなんです。「国旗」、第一条「国旗は、日章旗とする。」二項「日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。」「国歌」、二条も似たようなものです。分量でいいますと、一つは字数でいうと七十四字、条文数でいうと二条、こういう法案でございます。

これを当時どれだけ審議したかといいますと、内閣委員会と、それから文教との合同もございました。いわゆる政府質疑、この法案に対する直接の質疑を十一時間四十分やっています。それから公聴会は二回やっています。それから地方公聴会は四カ所でやっています。

これと、今の政府案、教育基本法を比べますと、条文数でいうと十八条ですから九倍でありますね。法文の文字数でいいますと、国旗・国歌は七十四字で、政府案が、基本法は三千三百十文字ですから四十四・七倍。これをちょっと当てはめていきますと、政府質疑、国旗・国歌のところから考えると、条文数でいっても二十七回ぐらいの審議が必要で、文字数でいっても今度は百三十四回ぐらいの審議が必要です。時間でいいますと百五時間ぐらい、条文数だけでいいますと、九倍の審議時間。それから公聴会は十八回ぐらいするんだろう。それから地方公聴会、全国で四カ所やっていますから、今回でいえば、九倍だったら三十六カ所でやろうということでございます。

ですから、私が言いたいのは、何もこのことの数字ではなしに、国会の大先輩でございますので経験多数で、しかし私も国会の審議についていろいろ関与させていただいたこともございますので、この程度のボリュームだからこのぐらいでやってくれとか、あるいはこのぐらいでやるべきだというこの発言自体が、少し、やや配慮が足りないのではないか、こういうことが言いたいわけで、これに対して御意見がありましたらおっしゃってください。

○伊吹国務大臣

今先生がお示しになった国旗・国歌法との比較も一つの比較だと思います。しかし同時に、先般提出された行政改革の五法案は、私たちが生きているこの国家の統治システムそのものの大変革をする法案であって、条文、ボリューム、その他からいえば、今出ている法案は、これに比べると、物理的な条文あるいは活字数からいえばはるかに少ないわけですから。

そういう数字のやりとりをするよりも、民主党御自身も、今の教育でよくないと思われて、対案をお出しになって、そして国民のために早く教育を変えていこうというその使命感を共有しているわけですね、我々は。ですから、できるだけ協力をし合って、迅速に国会でこの基本法の審議を始めていただいて、御協力をしながら国民のために早く結論を出していただきたい、私はそういう気持ちでおりますので、よろしくお願いします。

○藤村委員

気持ちはそういうことで結構だと思います。

ただ、憲法論議に本当に近い教育の基本法を論議するわけですから、かつ、伊吹大臣も会見等、ほかでも言っていらっしゃるか、教育基本法を変えたからとか、こういうふうに改正したから、すぐ教育がこうなるという話ではないということは、あちこちでおっしゃっていると思うんですね。まさに骨格というか仏つくって、魂入れていくのはその後の話ですよ。だから、魂を入れることが肝心なので、重要なので、できるだけこの骨格を早く決めてちょうだい、これはこれで理屈はわかるんです。しかし、骨格ですから、コンストラクションですから、教育の憲法ですよね。そういう意味では、ここを決め間違ったら、本当に今後数十年、日本の教育の方向を大きく間違うことになりかねない。

私、この年になって最近ゴルフを始めまして、あれは最初のちょっとした角度というか、あれがその先に飛んでいったら物すごく違いますね。このことは実感いたしました、それまでしたことがなかったものですから。そういう意味で、この骨格の、まさに最初の第一打を打つわけですから、このときに、ちょっと角度がこっちに行ったりこっちに行ったりという、このことは十分に注意して、ある意味ではそれなりの練習をして、トレーニングをして、準備をしてと、こういうことだろうと思いますので、私どもは、この程度のボリュームでこの程度の内容であれば、本当に、それも基本の法律ですから、慎重に、十分な時間をかけてやるべし。

この国会で何としても上げるというふうな、そういう何か終わりがある案件ではないだろうと思いますし、しかし、当然我々も対案を出し、我々の法案を制定したいと思っておりますので、もちろん終着点をちゃんと見ながら進んでいきたい、熱心にやりたい、このようなことを申し上げたいと思います。

二番目に戻ります。

教育の目的論議が、実は基本法の、私どもでいえば前文と一条なんですが、政府案でいってももちろん前文とそして一条、二条は目標ですかね、その辺にかかわることなんです。

今回、安倍首相が就任して、その最初の所信表明演説において、私、全体を見たときに、あれだけ教育とおっしゃったにもかかわらず、若干教育の部分が少ないのかな、分量からいうと、まさにボリュームからいうと、ちょっと少ないんじゃないかなと思ったんですが、その中の「教育再生」という小見出しがついている演説の中の一つで、「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。」と主張されました。このことは教育の目的の一つであろうと思いますが、伊吹大臣は、教育の目的というと物すごく大きいかもしれませんが、しかし、教育をつかさどる文部科学大臣として、教育の目的いかんというときには、どういうふうにお答えになるんでしょうか。

○伊吹国務大臣

これは、先ほど来私がお答えしているように、理想の日本人をつくるということだと思いますが、理想の日本人像というのは、その人の人生観や価値観によってみんな違うということをさっき申し上げましたね。理想の国家像というのは、その人の政治家としての政治理念あるいは政党の持っている政治理念によって違う。しかし、最後は、集団の意思は多数決で決めねばならない。しかし、価値観の違うものであるだけに、それを扱う分野の人間は常に謙虚さを持って対話をし、説得をし、そして結論へ導いていくという姿勢でやらねばならないと思います。

ですから、今の教育の目的というのもそれに符合することだと思いますが、私は、日本という国に住んでいる国民がお互いに共生をし、仲よく温かく暮らしていき、そして世界の中で尊重され尊敬を受ける、そういう社会を構成していける人間である。そこには最低限の基礎学力を身につけなければならないし、日本人としての規範意識を大切に持っていなければならない。だから、教育基本法の第一条には、人格の完成を目指し、国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民を育成するということが書いてある。まさにそのとおりだと思います。

○藤村委員

  今回の安倍首相の所信表明の中では、そのうちの一つを切り取って、特にというふうな気持ちで述べられたというふうに、伊吹大臣はそういうふうに解釈されるのか。「教育の目的は、」という主語で何々ですという一文ですから、教育の目的はそういうことか、これだけかというふうに勘違いする可能性がありますので、そこはちょっと補足してあげないといけないと思うのですが、いかがでしょうか。

○伊吹国務大臣

安倍総理の所信表明ですから、表現をなぞってお答えしないといけないと思いますが、総理が言っておられる「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。」というまさにその意味は、人格の完成を目指し、先ほど来私が申し上げたような国民を育成することであり、それが基盤となって国家や社会ができていくということを総理は言っておられるから、私は別に、一部を切り取ったとか、あるいは教育基本法の考え方と何かそごをするとかいうことではないのじゃないかと理解しております。これは理解の仕方の問題だと思います。

○藤村委員

私の質問は午前と午後に、二つに分かれますので、今、私の方からちょっと投げかけておきますので、午後またお答えをいただくということで。
我々が教育基本法を考えたときに、教育の目的を一生懸命考えました。これは政府も当然であります。我々が今やろうとしているのは、つまり法律でやろうとすることですよね。法律でやるというのは、それは国及び地方公共団体が行う行為であって、しかし考えてみたら、教育というのはもっともっと広い人たち。地域、家庭も含めたら、そういうこと。だから、法律でやる教育の目的というのは、割に、一つの役割を果たす国及び地方公共団体がどういう目的で行うかということであろうと思うんですね。

しかし、その中にも、一人一人の、政府案でいえば「人格の完成」、我々は「人格の向上発展を目指し、」ということでございまして、広義の教育、それから、狭い意味ではないにしろ国及び地方公共団体が行う一つの部分である教育、これは切り分けて、大きいものと小さいもの、それぞれに考え合わせて基本の法律などはやはり構成されないといけないなと思っておりますので、国及び地方公共団体という限定でどう考えていくかということを私今質問しておきまして、後ほどお答えを願いたいと思います。

午後にもう一回繰り返し申し上げてもいいと思いますが、公務の御都合でちょっとここを出られた方がいいと伺っておりましたので、早目に終わります。午後に回します。ありがとうございます。

○桝屋委員長

午後零時四十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。


午前十時五十三分休憩
――――◇―――――
午後零時四十分開議

○桝屋委員長

休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を続行いたします。藤村修君。

○藤村委員

午前中に引き続き、残り三十分の時間をいただいております。途中にコマーシャルが入って、一遍リプレイしないといけないのかなと思いますが、教育の目的の論議を始めさせていただいたところでございました。

余り細々と申しませんが、私どもは、教育という広い概念の目的というのは、今度の私どもが提出しました日本国教育基本法においても、広義、広い意味の教育というとらえ方をして、その際には、これは前文に書いておりますが、「心身ともに健やかな人間の育成は、教育の原点である家庭と、学校、地域、社会の、広義の教育の力によって達成されるものである。」という理念を掲げ、そして、一条の方で、まさにこれが法で国及び地方公共団体というとらえ方をして、「教育は、人格の向上発展を目指し、」云々ということを書いている。こういう整理をさせていただいております。

すなわち、教育という大きな概念からの目的というのは、やはり一人一人の人間を育てること。我々は、実は言葉を使い分けまして、一条では、人材という言葉を使っています。伊吹大臣の午前中の答弁を聞いている中で、それは国及び地方公共団体という枠の中でお考えで、やはり人材という方により強いというか、あるいは、天下国家を論じる元大蔵官僚でもございますので、そういうお考えの仕方が定着しているというか。しかし、広く教育というときには、一人一人の人が、人間が育っていく、こういうまさに個に目を向けた考え方というのが本当に重要であろう、このように思っております。
この点について、もしコメントがございましたら。

○伊吹国務大臣

先生がおっしゃっていることに全く異論はございません。日本社会の中で基本的に生きていくのに必要な学力、人間としての素養を身につけて、そして、創造性とその人の持っている本来のタレントというものが自由に発揮されながら、みんなが共生していける日本が一番いいわけでございますから、そのとおりだと考えております。

○藤村委員

その点をどうしても、天下国家の中で、人を鋳型にはめたいという考え方は教育になじまない、こういうことが言いたかったわけでございます。

そして、教育の分野においてそれぞれが目的を持ってやっていらっしゃる。例えば、一番身近な例でいうと、家庭における教育というのは、これは親がみずから自分の子供たちをどう育てるかということで、将来ちゃんとそれぞれの才能を発揮し、そして、ちゃんと日本社会なり世界の中で立派に生きてほしいし、場合によっては成功もしてほしいと思うわけでありまして、それぞれやはりその家庭の教育の目的があるわけであります。地域においては、地域で育てられた子供はまた将来必ず地域のためになって働いてくれる、そういう言い方をよくしますが、やはり地域においてもそういう教育の目的を持ってやる。

そこで、文科省あるいは国及び地方公共団体というのは、やはり学校を中心として教育を構築し、考えていく。その際の教育の目的というのが、先ほど午前中申しました、安倍首相の所信表明はどうもやや国づくりに偏ってはいますが、しかし、文部科学大臣として、個の、一人一人の人間に注目しながら教育というのはそもそも行われるということをぜひ腹に据え、念頭に置いて進めていただきたい。

エデュケートという英語の言葉は、実はラテン語ではエックスカールという言語がございまして、エックスというのはエクジット、外、カールというのは引っ張る。大学などで、教員養成の課程などでは、学生はみんな最初に教えられるそうです。教育というのは、一人一人の中にある、内在するいいものを外へ引っ張り出す。エックスカール、ラテン語の言語はそうなんです。

そういうところに語源があるということをぜひ念頭に置いていただきたい中で、今からお伺いする具体的な話は、国及び地方公共団体が行うと。これは、法律に盛って、基本法を筆頭にしてそれら法体系がございますが、国及び地方公共団体が行う教育というものの位置づけ、そして役割、さらに責任ということについての大臣のお考えをお聞きしたいと思います。

○伊吹国務大臣

これはもう申すまでもなく、日本は法治国家でございますから、憲法に定める国権の最高機関である国会が議決をされた法律によって日本の教育制度は動いているわけです。

したがって、国としては、基本的な制度の枠組みあるいは全国的な基準、そしてまた義務教育費国庫負担金等の財政支援、こういうものを担っているとともに、地方に必要な指導、助言、援助を行うということは、これはもう先生には釈迦に説法でございますが、学校教育法、義務教育費国庫負担法あるいは地方教育行政の組織及び運営に関する法律等によってこれが決まっている。

その法律を受けて、都道府県は、高等学校それから義務教育段階の学校の教職員の人事、給与の負担を行うとともに、今度は市町村の教育委員会に対していろいろな助言指導を行う。市町村は、政令市は別でございますが、小中学校を設置、管理し、これに基づいて学校が運営されている。
これが、先生がおっしゃった、家庭とかあるいは地域の教育力を除いた法で定められているところの、日本の、国会の意思がこういうことになっているということですね。

この運営について、実態から見ると、責任の所在がどこにあるとか、あるいは国の指導力がもう少し行き渡った方がいいじゃないかとか、民主党さんの教育基本法の対案も読ませていただきましたが、そういう思想もところどころあるなということも私は理解しております。
これは、ありていに言うと、どのような制度にも長所と短所があるということなんですね。あえて言えば、私たちは、中選挙区というものは非常な弊害があるというので、あのとき大変な世論の流れの中で小選挙区制度を導入いたしましたね。しかし、今になると、小選挙区制は小選挙区制に伴う大変な弊害があってという話がまた起こってきている。

ですから、どのような制度にしろ、先ほど来各先生からお話があるように、それを担う者の使命感とやる気がなければやはりうまくいかないんじゃないかと私は思いますので、制度に根本的な欠陥があるのなら、それには手を入れていかねばならない。しかし、余りにも悪平等がはびこった大学を独立行政法人にした結果、今度は独立行政法人の弊害が多々あるということは、先生方御指摘になっているとおりなんですね。ここのところを、制度論だけにとらわれず、やはりみんなで未来のために議論していただきたいと私は考えております。

○藤村委員

今お答えの中で、国の役割というのを割に明確にお答えいただいたと思うんです。我々が主張しているのとほぼ近いんですが、学習指導要領を一つの例としてナショナルスタンダードを示す。それからもう一つは、義務教育費というふうにおっしゃったんですが、財源の措置をきちんとする。これがやはり国の大きな中心的役割であろうと思います。

しかし、いずれにせよ、それらは、今大臣答弁の中では、それを実行するリーダーといいますか、人にかかっていますとおっしゃった。このことは先ほど鈴木委員の質問でも、どんなに金をかけても云々、最後は人間の力とおっしゃったんですが、国は、人間の力に期待するのはいいんですが、それを発揮してもらうためには責任を果たすと。そういう意味で、まさにどんなに金をかけてもとおっしゃいますが、今、金は減らそうとして、それで人間の力に期待すると言っていたのでは、これは地方は動かない。午前中に例を出した、きのうの各県教委に対して分厚い、本当に中身のあるものを差し上げたけれども、これを現場に持っていって、それぞれまた勉強し、そしてそれを具体化していくには、これは人も要るし、時間もかかるし、すなわちそれは金がかかることであるという御認識が必要だと思うんです。

私は、安倍首相の所信のところで、教育再生を声高におっしゃった、そのことはさっきちょっと議論いたしましたが、一つ欠けていたのが、きちんと国は必要なものを手当てするというか、その姿勢がないのではないか。教育に関する財政支援といいますか、そのことに全然触れられていなかったですね。文科大臣の方から、この点についてちょっと表明しておいていただきたいと思います。

○伊吹国務大臣

小泉内閣のときも米百俵という最初の打ち出しがありましたが、その後、教育改革については見るべき進展がなかったと私は率直に思います。

ですから、政府は打ち出の小づちを持っているわけではありませんので、現在の国民負担の中でやるのであれば、どこを減らすかという話は、民主党を含めてみんなで議論をしなければならないでしょう。それ以上に、将来のために必要だという国民認識を民主党さんも自民党も、あるいはその他の政党の皆さんも共有するならば、我々は恐れることなくその負担を国民に求めるという議論とあわせて、今の議論はする必要があると思います。

○藤村委員

伊吹大臣が直接かかわられた簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律が、平成十八年六月二日施行ということになりました。

この中で、我々、多分ここにいらっしゃる皆さんが非常に懸念を抱いているのが、五十五条の三項に、これは教員の話ですけれども、「児童及び生徒の減少に見合う数を上回る数の純減をさせるため必要な措置を講ずるものとする。」と。児童生徒が減っていくから少し先生は減らしていいという考えは、それなりに理屈は通るんですが、純減を上回る減をするという、その必要な措置を講ずる。この点については、文科大臣の立場で今どのようにお考えでしょうか。

○伊吹国務大臣

これは、当委員会の委員長もそうですが、特別委員会の委員長というものは、提出された法案には常に中立でなければなりませんから、誤解のないように申し上げておきますが、私が委員長だからその法案を推進したわけではありませんし、また、推進すべき立場に委員長というものはございません。

問題は、減らすべき必要があれば減らせばいいし、教員の現場の、結局、教え方、担当の子供たちの数、それに対しての教員の対応、そして実際教員がどういう仕事をしているのかという、現場をやはりしっかり認識して、減らすべきところと、減らしてはならないところと、ふやすべきところということは、やはりしっかりと分けて考えるべきで、まさに先生が午後の一番冒頭におっしゃった、そこのところに直接文部科学省の手が及ばないということが、もどかしいといえばもどかしい、私はそういう気がしておりますので、現場の実態と合わないような減らし方をするというようなことは、私は余り感心したことじゃないと思っております。

○藤村委員

国及び地方公共団体が行う教育の中で、先ほど伊吹大臣からは国の役割ということで割に整理していただいたので、その路線といいますか、その路線をきちっと実現していただければというふうに思っております。これは現教育基本法のもとで今動いております。

そこで、午前中にも質疑が若干ありました教育再生会議であります。一昨日ですか、第一回会議が開かれたと伺いました。メンバーは民間の方々十七人でしたか。加え、この教育再生会議に総理そして文科大臣というメンバーが加わっているのでしょうか。それとも、第一回会議でいわばあいさつをされたのでしょうか。今後の再生会議のあり方というのは、文科大臣はどうかかわるのか、教えてください。

○伊吹国務大臣

  これは、組織上の位置づけは閣議決定によってつくり上げた総理の諮問機関というもので、法律に根差したものではございません。そして、その閣議決定をいたしました際の文章は、民間の有識者と内閣官房長官、文部科学大臣がメンバーとなり、内閣総理大臣がこれを主宰するということは明確に閣議決定いたしております。

○藤村委員

そこで、午前中に御質問があったのは、この教育再生会議と、それから教育を中心的に担う役所である文科省、文科省はまた諮問機関である、審議機関である中央教育審議会と一体になって、さまざまな教育に関して審議をし、必要な法改正をずっとされてきました。

今後、これはどうなるのかなと。今、大臣おっしゃるように、再生会議は、法的根拠はあるわけではないけれども、閣議決定によって設置された機関。中間報告を来年早々出し、最終報告を来年ひょっとしたら年末かと言われている中で、すると、その最終報告を閣議決定いたしますと、それは法的拘束力を持ちますね。だから、法的事項までをそこで決定し、それを閣議決定でまさにオーソライズするのかどうか。その辺の見通しというのはどういうふうになるんでしょうか。

○伊吹国務大臣

閣議決定をいたしますと内閣を拘束することになりますが、それは国家行政組織法上、憲法上の内閣の地位という意味では、法的な意味はございますが、国権の最高機関がつくられた、国会の議決を経た法律的な意味での拘束力は、これはございません。

ですから、先ほど来先生が御議論になっているように、大きな教育の要素というのは、やはり従来の考え方からいえば、家庭でのしつけ力、地域での子供を優しく包む力、それから学校でのその足らざるところを補う役割と、学校は多くは基礎的な学力をつける場というのが日本の伝統的な流れであったと思います。

しかし、残念ながら、残念ながらという表現はよくないと思いますが、今はもう経済がこれだけ大きくなっちゃって、働き場所が都会に集中しておりますから、三家族同居の従来型の家族制度というのはもうなくなってきていると思わねばなりませんし、女性が社会に進出して自己実現をされる機会を大いに持たれるのはいいという表現以上に、女性が社会に出て働いていただかなければ、日本経済と日本社会はもたない規模の大きさになってきているということです。

そういう中で、家庭の教育力というのはやはり必然的に非常に落ちてきている。それから、それに従って地域の包容力というのも落ちてきている。その現状を傍観しておいて、学校にすべての責任を押しつけて、学校がけしからぬ、けしからぬと言うだけでは、私はやはり問題の解決にならないと思いますね。

ですから、家族の復権、地域社会の復権をやるということになりますと、極端な話、サッチャーはそういう考えを私は持っていたんだと思うんですが、やはり地方での働き場所を確立するために、あれだけ市場経済重視を言った人が、工場誘致のためには税金の補助金を気前よく出しています。それで英国に進出したのが日産自動車ですよね。

そして、同時に、公共事業の役割もあります。できるだけ早くお母さん、お父さんに家庭に帰ってもらうような働き方、あるいは労働基準法のとらえ方、こういうものをすべて包含してもらわないと、本当の意味での三つの力を取り戻して、規範意識を持って、基礎学力がどうで、創造性があって、世界から尊敬されという言葉どおりの子供をこれから百年仕事でつくっていくのは、非常に難しいと思いますね。その仕事は、文部科学省だけで担うのは少し難しい。だから、そういう大局的な議論をしてもらいたいと私は思っているんです。

であるからこそ、私がお願いしたからやっているわけじゃなくて、総理直属でやってはおりますけれども、地域と家庭の再建の小委員会というのをつくっておりますね。その中で、まさに先生がおっしゃった、法律に基づいて学校教育としてやる場のことは、これはすべて我が省がそのまま引き受ける。そして、それについては中教審の御意見を広く伺って、いろいろな価値観の中から結論を出していただく。これはもう当然のことであって、既にこの再生会議の議論の前に、中教審としては、免許制の問題その他いろいろ御議論はあると思いますが、答申をいただいておりますから、いただいているものは、文科省としては当然、既定方針に従って粛々と国権の最高機関で御議論をいただく準備を進めたいと思っているわけです。

○藤村委員

今の話で大体整理されていたように思います。

伊吹大臣が就任された当初に、記者会見でその件を新聞記者から聞かれて、それでこう答えていらっしゃいます。山谷えり子さんが担当の首相補佐官になりましたから、一度こちらに来てもらって事務局ともよく意見交換したらよいのではないかとおっしゃっています。これは実現したんでしょうか。

○伊吹国務大臣

率直なところ、山谷さんとはもう何度も何度も、私自身、マスコミや何かに気づかれないようには会っております。

それはなぜかというと、私は、この再生委員会というのは、やはり総理が主導でやる委員会、再生会議ですから、私は、その人選だとかここの運営だとかについて口を出すべき立場ではありません。ですから、そういうことについては、私は一言も言ったことはございませんが、今後、お互いの役割分担をどうするかというような議論は再生会議が立ち上がるまでに十分やっておこうということは、既に何度も意見交換しております。

しかし、これを平場でやりますと、人選について文科省が口を入れたとかどうだとかという実態じゃないとらえ方をされるということがあってはならないから、できるだけ目立たないようにやったということです。

そして、やっとここで再生会議が立ち上がりましたから、一度、先生の今の御示唆のように、私が申し上げたとおり、平場で意見交換を山谷さんや山谷さんのスタッフと我が方のスタッフとでやってもらったらいいな、そう考えております。

○藤村委員

そこで、スタートしたからということで、今大臣はきちんとやりましょうと。実は、国会でもやらないといけないと思うんですね。

私、昨日、文科省に、再生会議と文科省、あるいは中教審との関係など質問項目を出したら、いやちょっと文科省だけで答え切らぬという声も出てきたので、そこで内閣に、山谷首相補佐官が国会に来て、委員会で答えてほしいと要請しましたところ、これは国会法とか内閣法とか持ち出して、何かできないようなことをおっしゃるんですが、しかし、そんなに、補佐官制度自体が相当新しく発想をして、今回、数をふやして担当をつけてやり始めるわけですから、これは大臣に言ってもしようがないことで、委員長に対しては、このことは今後きちんと、担当補佐官、そして再生会議事務局長という立場で国会に出て、バッジをつけている人ですからね、民間の人を呼び出そうというわけじゃないんですから、きちんと来るようにはからっていただきたい。委員長に申し入れしたいと思います。

○桝屋委員長

ただいまのお話につきましては、先刻の理事会でも議論をいたしまして、引き続き議論しようということになっておりますので、理事会において議論を続けたいと思います。

○藤村委員

それから、再生会議と文科省、中教審との関係で一点だけ確認させてください。

まず、再生会議をやっている間は、中教審はまた淡々と動くということであるのか。かつて臨教審が動いたときは中教審は休みましたね。だから、それがどうなるのかということと、それから再生会議で、まさに文科省関係の教育基本法を頂点とする法体系の一部に変更を生じる法改正が必要だとなったときは、それはまた改めて中教審、文科省、政府提案、こういうことになるんでしょうねということを確認したいと思います。

○伊吹国務大臣

今のお尋ねは、再生会議で出た結論が、何か現在、内閣として提出している法案と矛盾する結論を出した場合ということですか。

それは、再生会議というのは一つの、総理に対していろいろ意見を言う場ですから、これをすべて受け入れるかどうかは、今度は内閣として考えなければいけませんよね、行政権は内閣が共同して責任を負うべき憲法上の権限ですから。ですから、おっしゃっているようなことは当然、文科大臣と官房長官と総理大臣がこのメンバーである限りは生ずることは私はないと思うし、また生じないような運営をさせるのが私の責任だと思っております。

それから、再生会議で議論をしているテーマだけを実は中教審に今諮問をして、御審議をお願いしているわけじゃありませんので、中教審については、再生会議が開かれている間といえども、私の責任において常に審議を継続するようにお願いをしたいと思っております。

○藤村委員

もう一問、ちょっと大きな課題で、七月に、先ほどもお話があった中教審答申の今後の教員養成、免許制度のあり方ということでお尋ねをしたかったんですが、時間的制約があるので、この一問だけにいたします。

教員の免許、おおむね中教審答申から見ると、十年で一度見直したらどうか、更新したらどうか、その際には講習を受けたりなんかする、こういうことで、私も免許制度更新に全然反対と言っているわけではないんですが、大臣がお考えになるこの免許制度更新に伴うメリット、デメリット、さまざまあると思うんですが、今どういうふうにそのメリット、デメリットをお考えなのか、この点だけをちょっとお伺いしておきます。

○伊吹国務大臣

まず、免許制度の更新を中教審のこの御答申どおり仮に十年ということにいたしますと、どのような基準でその不適格、適格を判断するかということが一番のやはりポイントになってくると思います。だから、そこのところを誤ると、何か免許の更新を取るための受験勉強のために授業の時間が、授業に割く、指導に割くべき時間がなくなるということは、あってはならないだろうと思いますね。

しかし、同時に、今のままの教師のあり方でいいのかどうなのか、これは特定の方というわけじゃありませんよ。一般論として言えば、十年間の間に刻々と知識が、社会情勢が変わってくるわけですから、その社会情勢に合わせて子供を指導できる能力をやはり日々研修でつけていただくということ、そのメリット、デメリットというのは、やはり更新をどういう基準で、どういうふうに運用していくかという、まさにそこにかかっていると思います。

それから、では不適格だとなった場合の教師の扱いをどうするかということ、これは、御承知のように、公務員の分限がありますので、どういう形でこの人たちを、もう一度教師の場へ戻っていただくのか、他の職種についていただくのか、その辺をこれから詰めて、運用によって、先生が御懸念になっているメリットとデメリットがはっきりと出てくるんじゃないかというふうに考えています。

○藤村委員

その辺の中身をちょっと議論したかったんですが、次回に譲りたいと思います。

私、デメリットの部分で、今お触れになりませんでしたが、現場の教員の立場からいうと、その間、講習を受けたりなんかするということでどうしても抜けないといけない、それをちゃんと補充する仕組みができるのか。これは、さっきの行革法を持ち出すまでもなく、午前中の論議で、いじめの問題が出ればまた国があれだけの資料をつくり、都道府県教育委員会、市町村教育委員会、学校へおろしてくる。今非常に多忙になっていることは、大体皆さん御承知のとおりであります。加えて、百万人の教員の、十年ごとですから、十万人ごとを毎年更新制度で、制度と仕組みとしてやっていくからには、これは、教員の補充とかそれに伴う予算措置など、相当のお金がかかる話だということ、これをかけないでやるのは無理だということを最後に申し上げまして、終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

管理画面TOPへ