○土肥委員
大変ポストモダンを勉強なさって、そしてそれへの対応策をお述べになったと私は思いますし、そうでなければ大したものでございます。
つまり、例えばコミュニケーション、あるいはソフトパワーと今おっしゃいましたけれども、もうハードでは無理なんです。ですから、限りなく子供たちと教師はコミュニケーションを深めていく、限りなく子供のそばに立って耳を傾ける、これ以外に指導方法はないんです。情報は子供の中にある、悩みも問題も子供の中にあるんです。それを聞き出していくような、その方向をやはり国会でも了解しないと、やはり上からの押しつけの論理になる、実態に触れていない問題解決になる。それがソフトパワーなんですね。
ですから、このポストモダンの問題点を解決するには、まさにそういう、今ある閉鎖されたコミュニケーション、一方的なコミュニケーションではなくて、基本的にコミュニケーションが一番大事なんだ、教育の中心なんだということを訴えて、そして、この子は理解できないとか、この社会はわからないとか、この問題はどうにもならないというような話では教育問題は解決しないんです。そういうことを私は申し上げているのでありまして、今の高井さんの答弁を高く評価したいと思います。
もう一つは、このポストモダンの問題はやはり核の問題ですね。もう御承知のとおりでございまして、私は、核保有国がこうして少しずつふえてくることによって、いわば、ちょっと人生論的になりますけれども、終末的な現象を想像せざるを得ないわけでございます。そうした中での教育とは何なのかということを考えている次第でございます。
それでは、少し現行法に即して御質問をしたいと思います。
現行の教育基本法は日本国憲法が生まれてすぐに決められた、いわば憲法に準ずるような基本法でございました。ですから、どんな基本法であれ、日本国がつくり出した、日本の政府がつくり出した基本法は憲法の下位に属するわけで、憲法の下に営まれることであって、どんな修正案であれどんな新法であれ、憲法に外れてはいけないわけです。
ところが、自民党さんでは、もう党是として憲法を変えるんだと。総理大臣は五年と言いましたでしょうか。憲法を今変えようかというときに教育基本法を提案なさるという意味は、その憲法の下位にある教育基本法、これはどういうふうに理解したらいいんでしょうか、お答えください。
○伊吹国務大臣
先生ちょっと、現行の教育基本法の制定の経緯は御存じだと思いますが、これは日本国憲法ができる前にできておる法律でございますよ。ですから、日本国憲法ができてすぐという今御発言がありましたが、それは逆でございます。まずこの法律が、昭和二十二年だったですか、できまして、日本国憲法はずっと後です。
そして、憲法の精神を体してもちろん教育は行われねばなりませんが、しかし、教育の基本というものと、これから改正されるであろう、あるいは改正できないかもわかりませんが、日本国憲法の改正を待たなければ教育の基本法がつくれないということでは私はないと思います。
もしそうであれば、御党も憲法改正を論じておられながら今教育基本法の対案を出しておられるわけですから、民主党の提案者にも同じ御質問を一つ確認していただきたいと思います。
○土肥委員
民主党に聞きます。
民主党は、前国会の答弁の中で、四十年、五十年にたえ得る教育基本法であるというふうにおっしゃいましたけれども、それは、憲法改正とは全く関係なく四十年、五十年は続くだろうというお考えでしょうか。
○藤村議員
土肥委員のポストモダン論と実は我々も近い考え方を、我々が出した、この日本国教育基本法発想に当たりまして議論したのは事実でございました。
そして、今の直接的御質問は、我々が四十年、五十年というふうに前国会でもお答えしたのは、そういう新法をつくりたいし、あるいはそういう新法でなければならない、そういう確信を持って出したわけでございます。
ただし、我々も当初、やはり憲法を今後考えていくわけで、それが変わっていく中で、教育基本法も当然その中身は左右されると。これは政府答弁でもそういうことをおっしゃっていますので、そういうことは事実だと思います。
そこで、我々が前提としたのは、民主党が出しました憲法提言という、昨年の、二〇〇五年の十月三十一日に、我々の中での憲法論議をずっと積み重ねている中の中間的な憲法提言というものがございまして、この憲法提言を一つたたき台にして、こういう、将来の我々の憲法像を前提に、この新法をまとめたところでございます。
当然のことながら、民主党案について、今後四十年、五十年の将来にわたって、日本の教育の基本法として恥ずかしくないものを取りまとめたと自負しております。
○土肥委員
藤村先生にお尋ねしますけれども、そうすると、どんな憲法ができようと、この教育基本法はそのまま生きていくというお考えですか。それとも改正しなきゃならないんでしょうか。
○藤村議員
どんな憲法ができようともという仮定では、その仮定のもとでは改正せざるを得ないかどうかも実はわからないんです。
我々はこういう憲法を理想とし、こういう憲法ができるという前提でこの新法を出したということでございます。
(中略)
○土肥委員
大変結構です。
私は気持ちを言っているんです。法律といえども、統治機構といえども、そこにポストモダン的な状況をくみ上げていかないと。
教育基本法というのは、戦後六十年、ほとんどだれも読んでいないんですね。保護者も読んでいないし、恐らく学校の教師も読んでいないんですよ。文科省も、一々教育基本法を引用して、これはこういうことですよなんて指導したことないと思うんですね。それで、六十年たって出てくる。
だから、やはり国民の皆さんが読んで、ああ、日本の教育については政府はこういうふうに考えているんだなというふうにならなきゃならないというのが私の持論でございます。
学校教育についても申し上げましょう。
政府案では六条、民主党案では四条ですが、特に政府案についてお聞きいたします。
第二項で、「教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」この体系的とか組織的とかというのはいかなる意味を持つんでしょうか。「規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む」、これもここに出てまいりますけれども、何か教育現場を体系的に、組織的に認識して、そしてそれに対する適切な対処法があって、これで教育がうまくいって、教育現場は規律に豊かな、規律が守られた学校になるんだねというふうに読みますと、一体何事かと思うんですが、いかがでしょうか。
○伊吹国務大臣
これはやはり先生、先ほど来申し上げているように、先生の社会の一つのルールとしての法律への考え方と、私どもが法律に対して考えている考え方の相違にやはり今の御質問は由来すると思いますが、やはり社会をつくっている限り、一つ、大きな社会の調和を保っていくのは法に書かれざるルール、規範、暗黙の申し合わせみたいなもの、もう一つは、やはり法律なんですね。
ですから、その法律の中に書いているのは、義務教育、その上の高等学校、大学といく過程で、やはり身体の成長状況に合わせてカリキュラムを法的に組んで同じ基準の、それは、ポストモダンは価値観の多様化だから全く別だよ、それじゃとてもできないよといったら、これは無政府状態になってしまいますからね。やはり社会としては、しかも、そこで教育を受ける者も、やはり守るべき自由には規律というものがあり、権利には義務が伴うということを自覚して、国民の税金で教育を受けてほしいという理念を書いているわけです。
○土肥委員
もう伊吹大臣と水かけ論はやめたいと思います。
民主党は、その辺は言わないんです、組織的とか体系的とか言わないんですね。そのかわり情報を取り上げるわけです。情報の開示だというんですね。この情報と教育現場のあり方について御答弁いただきたいと思います。
○藤村議員
学校教育という範疇で、実は政府案と私ども日本国教育基本法において、もう非常に大きな違いがあります。
すなわち、学校教育においては大半の権能を学校現場に、それが学校理事会という形になりますが、そして国は、つまり政府はということになると思いますが、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有するとして、例えば財政的な責任、それから教育行政など法整備の責任、それから教科書や学習指導要領など教育の水準の確保などについての責任は国が負う。一方で、学校の組織編制や教育課程、学習指導などなど、学校運営の大半の権限を学校理事会に持たせることとしています。これは非常に大きな違いであります。
すなわち、学校現場における権限と責任は現在と比べ物にならないほどに大きくなります。それだけに、学校運営に関する情報公開が不可欠だと考えました。何より、その学校に直接関係のある保護者あるいは本人に、当然個人情報保護ということは留意しつつも、情報を開示し、説明責任を果たすというのがこの理事会に求められるし、学校運営に対して、さらにいろいろな方面からの点検あるいは関係者からの評価にさらされることが、開かれた学校、地域の学校ということになると思います。
そして、国及び地方公共団体は、これら情報開示のノウハウあるいは点検方法、評価の基準等のあり方、情報収集、分析方法など専門的な知識を供与するなど支援を行うとしているものでございます。
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