第165回  06年11月6日

 教育基本法改正の質疑において
 民主党案『日本国教育基本法案』の提案者として答弁に立つI

教育基本法に関する
特別委員会

 


○井脇委員

よくわかりました。

九条にそのように具体的に出ているということでございますので、また、学校法人というのはとても大事でありますので、私も自分が学校法人を持ってとても苦労しておりますので、法人の明記がないということでちょっと心配をしたところでございます。

次に、民主党案の第七条第一項についてお聞きしたいと思います。

ここには、「何人も、別に法律で定める期間の普通教育を受ける権利を有する。」として、外国人にも教育を受ける権利を認めています。私は、日本国民の教育の基本を定める教育基本法に外国人に関する規定まで設ける必要があるのかとの疑問を持ちますが、それは民主党さんのお考えなのでしょうか。

問題は、その後に、「国民は、その保護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負う。」と続くことです。つまり、普通教育を受ける権利は外国人も含めた何人も有していますが、保護者が子供に教育を受けさせる義務は国民しか負っていないことになります。

そうなりますと、普通教育について、国民は権利と義務を負っているけれども、外国人は権利はあるけれども義務がないと読めますが、本当にこれでいいのでしょうか。御答弁をお願い申し上げます。

○藤村議員

結論から申しますと、本法案では、外国人は権利はあるけれども義務がないという委員御理解のとおりでございます。

まず、日本にも多くの外国人の方々が住まい、学齢期の子供さんたちもたくさんいらっしゃいます。時代は変わりグローバル化が進み、協定締結により、例えばフィリピンなどからも看護師さんや介護士さんが日本に働きに来ようかという、そんな時代になりました。そんな時代の流れの中で、今までやや島国根性とやゆされたような閉鎖的で日本国民のみが住みやすい国をつくるのではなく、住まう者皆に優しい国にしたいという思いがございます。ですので、ここでは「何人も、」とし、外国人にも権利を保障したのでございました。

また、一九八九年に国連総会で採択され、一九九四年に日本も批准いたしました児童の権利に関する条約がございます。その第二十八条一項に、「締約国は、教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、」以下ずっと続きます、とあります。批准しているからにはこれも一つ従うべきではないかと考えております。

では、なぜ外国人に義務を課していないのかという点であります。

日本に住んでいても、例えばインターナショナルスクールに通う、あるいは自宅で教育を望む、あるいは母国に子供は帰して教育をしたい、さまざまあると思います。そういうことから、外国人の子供さんたちに日本の義務教育を受けさせることを義務として課すことは行き過ぎではないかということで、こういう法案になった次第であります。

(発言する者あり)

○井脇委員

今も、後ろから言っていました。押しつける必要はない、外国だからと言っておりますけれども、「何人も、」となっておりますから、国民は権利と義務を、これは日本人でありますから、外国人には権利はあるけれども義務がないというようなことを今説明がありましたので、これがちょっとまだ理解がいきませんけれども、ここのところ、何としてもどうか……(発言する者あり)まだ一年生でよう突っ込めません。

そういうことで、私も、モンゴル、チベット、インド、ネパール、ブータン、インドネシアの地震の、親の亡くなった子供を引き受けて、高校三年間教育を施しております。百二十人、今引き受けておりますから、このことについては非常に一生懸命になっておりますので、「何人も、」となっていますから、外国人に義務がないということ、外国人は権利だけであるということがちょっと、非常に困っておるところでございます。納得がいかないのでございますが……(発言する者あり)そうしたら文部大臣に御答弁をお願いします。

○伊吹国務大臣

基本的には、権利というものは必ず義務によって裏づけられているというのは、これは法理の基本なんですね。ですから、外国の方も、日本国内で必ずしも公教育を受けさせる必要はないけれども、自分の国に帰るなり、あるいは、日本の法律による公教育ではないけれども、例えばアメリカンスクールだとかどうだとかという、自国法によるところの学校の教育は必ずこれは子供に受けさせる義務がある。少なくとも、ビザを取られ、パスポートを持たれ、日本に入ってきておられる限りは、日本の主権の範囲の中ではそういう、やはり私は公正であるべきだと思います。

○井脇委員

わかりました。今よくわかりましたけれども、民主党はそこのところ、そうしたら、もし法案をつくるとしたらぜひ何か考えていただきたいなと思いますが、藤村先生、お願いします。

○藤村議員

もう先生おわかりのとおりで、義務教育の義務というのは、もちろん保護者に義務が課せられているのと、それから教育委員会等行政側にも義務があるわけであります。そういう意味では、例えば、今ブラジルからたくさんの方が来ていらっしゃいますが、実は、ブラジルが日本にブラジル学校をつくっているんですね。やはりそういうところへ通うという親の選択もあろうかと思います。ですから、その辺を、そこに義務づけをして必ず日本の学校に通いなさいとすると、相当無理が出てくる。

一方、教育委員会の側にとっても、学校つまりを運営する側にとっても義務があるわけですから、その外国人の、ブラジル人の子供をポルトガル語で当初教えないといけないというのは、これは大変また負担と無理が出てくるということから、もちろん外国人の方は日本で税金を払っていらっしゃいますので、日本の学校に行きたければ行ってもらおう、これは今の文科省の姿勢もそうなんですが、我々はそこで、それをきちっと権利として認めていくというのが我々の法案でございます。

○井脇委員

最後に、民主党の法案の性格について質問したいと思います。

民主党は、教育基本法の改正は憲法を改正してからだとかねがね主張しておられますが、ならば、なぜ今回、民主党として改正案を提出したのでしょうか。教育基本法の改正について党内がまとまっていないのではないかなという気がいたしますが、いかがでしょうか。民主党の提案者の藤村先生、お願いします。

○藤村議員

御指名をいただきまして、ありがとうございます。

まず、党内がまとまっている云々の御心配をいただいたことを大変ありがたく存じます。ただ、はっきり申し上げれば、党内でまとめたからこそ議員立法で提出をするということでございますし、また、九月の小沢代表再選の当時に、小沢代表の公約として、日本国教育基本法を制定するということをはっきり掲げ、そしてそれを皆で支持したという経緯もございます。

また、憲法との関係で、なぜ提出したかということでございますが、憲法論議の方が我々はやはり先であるという主張はずっとしておりまして、新憲法のもとで教育基本法も見直しが行われてしかるべきとの考えをとってきました。ただし、政府は先に教育基本法を改正するとの考えで法案提出されてきましたので、民主党としては既に党独自で、これは何度もお見せしますが「憲法提言」、我々も憲法のことをずっと詰めて考えてきておりますので、「憲法提言」のこの内容を先取りする形で独自の日本国教育基本法案を取りまとめた次第であります。

現行教育基本法について、日本国憲法が一九四六年、昭和二十一年十一月三日に公布され、第三章、国民の権利及び義務の中の第二十六条において、国民の基本的人権の一つとして教育を受ける権利が規定され、保護する子女に普通教育を受けさせる義務と義務教育の無償原則とが憲法に明文化され、これを受けて、教育の基本となるべき理念及び原則を法律で定めようと、こうしてつくられたわけであります。つまり、教育基本法というのが憲法の条文を実現するための理念、原則を定めようとしたものであるというのは御理解いただけると思います。

平成十二年一月、第百四十七回国会で衆参にそれぞれ憲法調査会が、広範で深遠なる調査を五年にわたり行い、平成十七年四月、第百六十二回国会で報告書が出されており、日本国憲法に関する調査特別委員会が第百六十三回国会の平成十七年九月から設置され、現在は国民投票法が国会に提出されている状況であることを考え合わせると、国会においてはやはり憲法内容の変更に伴う教育基本法の検討であるべきではないかなという思いは今も残っております。

○井脇委員

ありがとうございました。

私は、現場からの声で、教育基本法に関連して、教員の質の向上について文科省並びに文部大臣にお聞きしたいと思います。

教育の荒廃が叫ばれる中にあって、教育のあるべき根本に立ち返り、一人一人を大切に、個性を重んじ、真心ある立派な人間の育成を目指して、理想の教育を実現すべく、教育の現場で三十六年間汗をかいてまいりました。その経験から確信を持って言えるのは、教育は魂の伝達であり、感動の触れ合いがなければならないこと、教育は情熱あるすぐれた指導者が必要であり、特に教員の質、人間力によるところが大きいと思います。

政府案第九条には、教員の心構えとして、「学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」と規定しております。さらに、すぐれた教員を確保するため、その使命と職責の重要性を踏まえ、養成と研修の充実を図らなければならないと規定しております。

教員の質の向上を図るためには、養成、採用、研修の各段階において適切な手だてを講じなくてはなりません。その意味で、政府案第九条に規定する理念は教育のあるべき本質を見事に言い当てていますが、我々国会議員は、こうした理念を法律にきちんと規定するだけでなく、この理念をどのように教育の現場で具体化していくかということを考えていかなければならないと思います。

このような観点から、政策提言の意味を含めて、まず、教員の質の向上について幾つか質問させていただきます。

すぐれた教員を得るには、まず、養成段階で、すなわち大学における養成課程、カリキュラムの編成でございます。すぐれた実践力を身につけさせる必要があります。そのためには、教育実習の充実が不可欠です。教員の実践力は、子供の触れ合い、魂の触れ合いの中からしか研さんできないと思います。

そこで、文科大臣にお尋ねいたしますが、教員養成課程における教育実習のあり方、教育実習の実態、どの程度の学年からどの程度の時間をとって教育実習を今まさに行っておるか、お伺いいたしたいと思います。

(中略)

○古本委員

実は、調べますと、何を教えるかというのは指導要領です。国が、まさに小中とそれぞれの段階によって、公示行為として大臣が出されておるわけですね、責任を持って。これは国として責任を持ちます、何を教えるか。

一方、これに書いてあることに沿って、では何を学んだか、習熟状況やあるいはどういう態度で学びに接したか、立ち向かっていったかということが、これは評価の仕方になろうかと思いますが、テストでやるのか、それこそ作文を書いてもらうのか、日ごろの学習態度から見るのか、実は現場に任されています。そうですね。任されているんです。

何かを教えなさいということは国が決めて、それをどのように教えたかをチェックする。チェックという言い方は不適切かもしれませんが、習熟を確認していかなければいけませんので、これは現場に任せている。ただし、確認のときの留意点ということで、先ほど申し上げた要録があるわけですよね。これは、文科省の初等中等教育局長の通知ということになりますね。ただし、これも、必ずしもこれでなければいけないというわけではなくて、参考にしてくださいという程度だというふうに理解をいたしています。いいですか。

つまり、教えることは、国がある意味、ナショナルスタンダードとして決めている。それを習熟したかどうかの確認は、ある意味現場に任せている。だけれども、実際の評価という段取りになると、この通知が出ている。そして、結果、最終的に卒業をさせるかどうかの認定は学校長が行う。要するに、それぞれの段階で、国と現場という関係に、さらに間に教育委員会が入ってまいりますね。きょうは、教育委員会の話は時間があればやりたいと思いますが。

つまり、教えなさいということが決まっている以上、これはやります。だけれども、実際にやれたかどうかの確認は、現場に任せていては、先ほどの行動の記録のように、これはすぐれて道徳的なことを規範として書いておられると思いますが、これを守れる人に育ったかどうかを、小学六年生の段階で卒業し送り出せているのか、中学三年の時点で送り出せているのかということを確認するところまでは、ある意味、拘束力なり強制力がないわけですね。もちろん義務教育ですから、落第という概念はないと思うんですが。このままで本当にこのいじめの本質的な問題に対峙ができるんだろうかと。

つまり、いろいろ申し上げましたが、今の日本の若い御家庭の保護者の方々、受験に出るといったら教えるんです。あるいは試験に傾向と対策とあるなら、それはやるんです。でも、試験に出ないことは関係ないんです、優先順位として。したがって、この道徳やら、あるいはこの行動の記録やら、こういうものは、もう少しどちらかにはっきりさせた方がいいんじゃないか。つまりは、国が教えなさいということまで決めるんであれば、その評価も含め、卒業も含め、全体に横ぐしを刺すべきじゃなかろうかという議論も一方である。もう一方で、地方に任せてはどうか、現場に任せてはどうかという議論、両方あると思うんです。責任の所在の明確化ということだと思います。

教育再生会議で、文科行政の頂点に立たれた小野次官も、再生会議委員として、いいことをおっしゃっていますね、卒業時点で学生の質を保証すべきだと。この道徳に関して、すぐれて保証できているんだろうかという思いを強くいたすわけであります。

そういう思いから、いじめという三文字を本当にこの要領に書かなくて、さらには要録で、生徒の皆さんが一年の歳月を経て、一歳、一年年をとって、そしてお姉さんやお兄さんの後ろ姿を見ながら追いついていく、そして育っていくということのチェック、確認をする要録に、そういった観点は入っていませんね。いじめということでは書き切っていない。この際、もうこの状況を見れば判断をするときに来ているんじゃなかろうかと思うわけでありますが、御所見を求めます。

○伊吹国務大臣

よくぞ聞いてくださいました。まさにそのところが問題なんですよ。

であるからこそ、義務教育あるいは高等教育については、国として一定の基準を持って、ここまで教えたから高等学校卒業生である、あるいは義務教育の修了者であるという基準は、やはりこれは要るんですね。ですから、国が、安倍総理が所信の表明でも言っておりましたように、すべての児童に基本的な学力と、今先生がおっしゃった規範意識を保障する機会を与えたい、こういうことを言っているから、国がやはりそこは関与せざるを得ないわけです。

ところが、現実はどうなっているかというと、もう御承知だと思いますが、確かに国は基準を示しております。しかし、その基準を地方の教育委員会あるいは学校長に強制し、それを強制したことどおりできているかという、何というんでしょうかね、検証権限、がないわけですね。具体的に行政をやっていくためには、人事権であるとか予算の執行権であるとか、あるいは措置命令権であるとか承認権であるとか、こういうものがないわけですよ。ですから、今おっしゃっているような、最後に、検証できないじゃないかと、私はこれは確かに先生の御指摘どおりだと思いますよ。

しかし、今度は、だから国がもう少し関与した方がいいという意見と、先生がおっしゃったように地方に任せた方がいいという意見と。民主党案は、私は非常によくわからないんですが、読んでみたんだけれどもよくわからないのは、教育の最終的な権限は、義務教育については国にある、しかし、教育の実施権限を首長に渡す。そうすると、首長は選挙で選ばれておりますから、特定政党が支配している町もあります。それから、ジェンダーフリーを極めて強く訴えておられる首長もおられます。そういうところに教育権を渡すというのは私は余り賛成ではないんですが、しかし、民主党案は、国に教育の責任はあるけれども、教育の実施権は地方に渡そうという構成になっております。私は、どうもそれじゃうまくいかないように私自身は思いますが、いろいろな考え方があるでしょう。

ですから、ここで議論をしていただいて、国民の御判断を仰いで、私はもう少し教育行政に、権限があるところに結果責任をとるという原則があるわけですから、これははっきりさせる必要があると思います。

○古本委員

民主党案の話も触れていただいたんですが、これは、この委員会で諸先生の御議論をずっと拝聴していますと、大臣のおっしゃるところのイズムのある人が首長を務めている可能性が高いわけでありまして、そういう人に任せていいのか、こういう議論になりますが、でも、現実問題、教育委員会の委員さんは最終的に首長の長が任命していますね。現状においても、間接的に市長さんや町長さんの、ありていに言えば息のかかった人が教育委員さんに入っておられるわけでありますから、その議論は今もってファイアウオールはないと私は理解しています。

それを申し上げた上で、せっかく民主党の話が出ましたので少しお尋ねをしておきますが、これは、明らかにいじめ問題は、恐らく都道府県偏差、あるいは地域偏差、あるいは学校間偏差があると思います。そういう意味では、よりきめ細かな指導要領あるいは要録の自主運営を地方にゆだねることによって、実は、文法や計算を覚えることも大変大事でありますが、まずもって生きるということの大切さ等々を学ぶことが喫緊の課題であるという地域や学校が現実問題あるわけでありますから、その意味では、各教育委員会にある裁量権がゆだねられ、民主党の場合は教育委員会を少し再編しようということを提案しておりますが、その方がより現場主義になっていいんじゃないかという立場から先ほどお尋ねしたわけであります。

その辺は、民主党提出者の方、何かコメントありましたらお願いいたします。

○藤村議員

今、多分、地方の教育行政という観点から御質問があったと思うんですね。伊吹大臣が疑問に思うという点も、我々も、ですから今後、地教行法という、地方教育行政に関する法律というものの組み立て方で相当大きく変わってくると思います。

我々は、非常に大ざっぱに大きく言えば、普通教育において、特にナショナルスタンダードであるとか財政であるとか、そして行政の全体の法体系をつくるのも国でありますから、それらをきちんと国が責任を持つということでございますが、しかし、教育というのは一番、現場の中で何が起こり、何を教え、そしてどういう困難に立ち向かうかという、やはり現場の中で責任を持ってやっていただく部分が大半であろうと思います。

そういう意味で、学校理事会というもので、今の学校、やや閉ざされたと言うと語弊があるかもしれませんが、学校の中でのみ教育が行われるのではなくて、その地域の方、あるいは保護者、そしてもちろん学校の校長さんも含めて、さらに地域の教育の専門家、そういうことが入っての学校運営、そこに大半の権限、もちろん責任も果たしていただく。そして、かつその学校を経営する、運営する責任というのが首長にある。

さっき古本委員がおっしゃったように、現状が、今の教育委員会制度が、もう三十年来、形骸化されていると言われ続けて、まだ大きく変わっていない、また、今回の政府提案も、今の教育委員会制度を多分温存というか引き続きやろうという考え方でございますので、やはりそこに大きくメスを入れるというのが今回の我々の新法でございます。

○伊吹国務大臣

今藤村先生がおっしゃったことと私はそんなに違う感じを持っていないんですが、結局、民主党案の場合は、教育の責任は国にある、しかし実施権は首長にあるということを言っておられるわけですから、藤村先生がおっしゃったように、国にあるということをどこまで基本法以下の法律で担保するのか、そして、地方の首長に教育権を譲るということは具体的にどういう内容を譲るのか。これをやはり詳細に詰めないと、公平な議論はできないんです。

ただ、国に権限があるといって実施権をすべて地方に譲っちゃった場合は、今のように教育委員会をかませて、そして首長が確かに教育委員を指名しますが、これは議会の承認を得なければなりませんよね。そういういろいろな民主主義の手続をかませているわけですよ。そういうことから考えると、監査委員会的という表現で組織を置くことを考えていらっしゃるようですが、やはり首長の関与権というものはかなり強くなるんじゃないかという印象を私は受けています。

これは、今藤村先生がおっしゃったように、公平に言うためには、その基本法以下の下位法をどのように民主党案を前提に構成していくかということによって違ってくるわけですから、そこのところは少し補足させていただきます。

○古本委員

もちろん議会の承認もありますが、議会もまさにイズムの殿堂でありまして、そこの多数会派の意見によって決まるわけでありますから、それも実はファイアウオールは現状はないと私は理解いたしております。

その上で、今個別法の地教行法等が出てまいりましたが、この委員会では、累次にわたりまして大臣みずから、基本法は理念法である、したがって理念を論ずる場である、個別具体的な各法は別途それぞれの担当の委員会でやるという御趣旨のことをおっしゃっておられますが、これはそれでいいと思います。

しかしながら、いじめという切り口からきょう質問してまいりましたが、現実問題、道徳やらあるいは行動の記録等、それぞれの生徒の皆さんにどのような教育を受けさせるかということは、これはすぐれて指導要領に書いてあるんです。そして、それを評価する記録として、ポイントにあるのは要録として国が出している。

したがって、これらの根拠法でいけば学校教育法、教育委員会であれば地教行法、それぞれの議論を今後にゆだねるとはいえ、ある程度の道筋は、このタイミングで大臣の腹の落としどころを確認しておかないと、この入り口の理念法である基本法を相わかったというわけにはなかなかまいらないわけであります。

その意味で再度お尋ねいたしますが、例えば、人に優しくて、本当に弱い者を助け、親孝行して、そして年長者を敬う、先生のことをまさに教師と仰ぐ、そういうある生徒さんがA君としていて、一方で、全くそうじゃない、道徳的には恐らく、今道徳の評価はないですが、仮に評価がついたならばもう三角かバツであるというB君であるにもかかわらず成績は優秀である、算数はよく解ける、漢字はよく知っておると。これは、結果的にどっちの子が、今後どうなっていくかということを考えると、もちろん後者が評価されるわけですよね、今の仕組みによると。
でも、これは毎日ですか、実は「「いじめ自殺」十六件」、もっとほかにあるんじゃないかという報道も出ています。もちろん文科省はとっておられると思いますが、潜在的な、こういう遺書等々を精査すれば、ほかにまだまだあると思います。

こういう、まさに胸が張り裂ける思いで全国の関係者がいらっしゃる中で、この際、道徳という切り口でもう少し指導要領を、そして、その習熟度あるいはその行動の記録をフォローしていく要録を見直していく御決意はいかがですか。そして、その心は、この教育基本法の中、今回の政府案の中にうたわれているんでしょうか。うたわれていないのであれば、これは今からでもいいですから、今後こうしていくんだということを、御決意をお聞かせ願いたいんです。

 

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