大学入試をなくす
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教育問題をいろんな形で議論をし突き詰めていきますと、先生や家庭・地域の問題にも行き着くのですが、教育の危機である小学校、中学校の学級崩壊など大抵が入試問題に行き着きます。大学入試を何とか大きく変えないといけないということは誰もが分かっています。私は、今まさに具体的にどうするかを考え、行動をおこさなくてはならない時期だと思います。
こういった入試問題に関し、立花隆さんや文部省は「大学入試を過度な競争から適度な競争へ」と提案しています。しかし、過度から適度な競争へといっても競争なわけで、そこに問題の根は残ります。
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| そこで我々は「大学入試をなくす」という提案を間もなくしようとしております。今日午後、私どもの教育問題の予算委員会を星陵会館という国会のすぐ近くの会館でやっておりました。そういった場でも教育政策の一つの目玉として「大学入試をなくす」という発言を少しし始めました。
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大学志願者の現状・予測と問題点
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まず、「大学入試をなくす」ための環境が整ってきてることについてご説明します。ご承知の通り少子化であります。最近の18歳人口を見ていくと、ピーク(180万人)が平成4年にあり、そこから年々減少し2009年にはボトムになるという予測です。また、2009年の大学志願者数(「現役の志願率」)は63%ぐらいと予測されています。いま現在(2000年4月)は50%ちょうどぐらいですので、これから上がっていくことを意味します。
2009年度になると18歳人口120万人のなかで70万7千人ぐらいが大学志願者ということになります。それ以外の人は専門学校や、就職をする。つまり大学に行きたいという人はこの程度におさまるということです。いまの大学の入学定員が70万7000人ですので、2009年には大学志願者数と入学定員がイコールになります。となれば単純に言いますと、試験は要らない。だから大学志願者はどこかの大学には必ず入るという時代が2009年にはやってくることになります。2009年度以降に関しても同様になるでしょう。そうしますと、政策を変えたり大きな変化を起こさなくても、自然に大学志願者はどこかの大学には必ず入るという時代が明らかに来るわけです。
だからと言って何もしなくてもいいわけではありません。いくつかの問題があります。現在、大学の知的水準や学力レベルがどんどん下がっているという危機に直面しています。これはこのままでは改善されません。また、理屈で言うと大学志願者はどこかの大学には必ず入るという時代は来ます。しかしおそらく幾つかの少数の大学に志願者が殺到すると予測されます。ほんとうに入試をなくすという政策をとらない限り入試は残っていくと考えます。そこで我々は将来環境が整っていくのだから、それを利用して大学入試をなくすという政策を掲げたいと思ってます。
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大学入試をなくす方法 1
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いま大学は大学設置法という法律の中で入学定員を決めています。そこで大学は、入学定員を超さないように、また入学定員に満たない場合は二次募集をすることによって何とか定員を満たしています。私は一つ目にこの入学定員をなくしてはどうかと提案します。設置基準等、法律的に相当大きな変更をしないといけないと思います。また、入学定員をなくすということは一部有名大学には殺到するという混乱を生じさせると予想されます。
その混乱を回避する一つの例としては、それぞれに大学が「うちの大学はこういう特色を持っています」、あるいは「卒業時にはこれぐらいのレベルに達して頂きます。そのために、三年生・二年生・一年生の終わりにはこのぐらいのレベルを、また入って来る人にはこれとこれとこれを要求します」というように前もって、「入口はオープンですよ。しかし出るのは大変な努力を要します。勉強しない人は、1年ごとに確実にキックアウトさせます」ということをハッキリと宣言して頂く。こうすることによって、入学志願者は大学の要求するレベルに応じて入学するというふうに、若干の整理が出来ると思います。
このように進学基準を明確にした上で、それぞれの大学には厳しく適用してもらう。社会通念にもなっている「留年者を出すということは大学の恥」という見方も変える方向で運動が必要になってきます。それからもう一つ、1年でキックアウトしたときに、受け皿もちゃんと用意します。これは大学間の連携の問題で、難しい大学に無理して入学して失敗したとしても、少しやさしいところが受け入れるという、こういう姿勢が必要になってきます。こういった大学間の流動性を連携によって高め、同時に教員あるいは単位に関しても連携、流動性を持たせればいいのです。
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大学入試をなくす方法 2
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もう一つ、企業の考え方を大きく変えていただく必要があります。大卒の就職採用の場合には、どうしてもどの大学かというところに相当重きを置かれているのが現状だと思います。しかし、これを大きく転換して頂き、「大学を卒業したということは厳しい一年、二年、三年、四年の基準をクリアしてきたこと」このことを正当に評価頂きたいと思います。
さらにこれは提案ですが、4月就職を9月就職にしたらどうかと考えています。いま例の進学協定がなくなりつつあり、卒業前年の4月から3年生の後期ぐらいまで、企業の求人活動が前倒しになっています。このことは日本の大学の知的水準というか、貶めている大きな原因の一つと言っても言い過ぎではないと思います。だから企業・学生共に4月から採用・就職活動をおこなう。場合によっては9月一斉採用でなくても、通年就職、通年採用して頂く。これには企業側の大きな転換を必要とします。
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スクーリング
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先ほど、大学入試をなくす際に最初の1〜2年は混乱が起きるだろうということをお話しました。おそらく「東大に俺も行きたい」0あるいは「一橋大学に行きたい」と、全国から志願者どっと押し寄せると思います。さきほどの大学入試をなくす方法1で大部分の志願者を整理することができると思いますが、それでもなお相当数の学生を抱えることになるでしょう。そこで大学入試をなくした当初は一、二年生時に通信教育を導入すればいいと思います。
このスクーリング(通信教育)を利用して、二年生に進級する際、大学側が「今後教育を施し、教育と研究を両立出来る定員」まで絞ってしまう。このように当初は入試はなくすけど、二年生になれないという考えで相当強力にやっていけば、最初の混乱はひとつクリアできると思います。その後は志願者側にその考え方が広まっていくでしょう。入試をなくす、そして入学定員を廃止してしまう。このために以上のことを提案しているところでございます。 |
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国立大学の民営化 |
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それからちょっと話が飛ぶんですが、我々、民主党の政策で「国立大学の民営化」をうたいました。確かに国立大学がなくなることは考えるところがあります。しかし国立大学の存在の意義・意味というのは、かつては優秀であるが経済的に苦しい、そういう人たちの受け皿であったかと思います。さらに、国策に敏感に反応できる国の研究や教育のひとつとしての機能も果たしていました。
では、現在の国立大学はどうかというと、必ずしも経済的に苦しいから国立大学という話ではありません。むしろ逆であります。よく聞かれる話では、東大に行ってる学生さんの家の家計は、全国平均水準より相当高いそうです。つまりそれだけ事前の投資が必要であるということになってるわけです。一橋もそうだと思います。ならば、国立大学の国としてやらねばならないという理由はほとんどないと思うんです。我々は基本的に官から民へという大きな行政改革の中で、言わば民業を圧迫して官がやってる部分を出来るだけ撤退しましょう。国はほんとに最低限のことに絞りましょうと訴えています。
いま全国で8割は私学であります。その私学の経営に国が乗り出して、民業を圧迫しているじゃないかと言われております。撤退していいんじゃないしょうか。ただし、すべてを廃止することはないんです。私は国立大学の10%から20%の範囲ぐらいは残していいと思います。大学の役割を少し特化させて、教育に力を入れる大学、あるいは研究に力を入れる大学とすればいいのではないのでしょうか。例えば日本が技術立国として成り立っていくため世界水準の学者を育てる大学。それから日本の企業戦士、ビジネスマンを育てる大学。あるいは地域社会に密接した、地域の文化センターとして地域へ人材を供給する大学。いまの国立大学の10分の1ぐらいの規模があれば、優秀で世界に通用する技術者や科学者、あるいは大学の先生を十分に供給出来ると思います。大学院と一緒にした六年制大学もいいと思います。しかしあとは基本的には民営化。みんな私学になってもらいます。
ただし、地方の国立大学というのはなかなか存在意義が大きいんです。その場合、例えば私は広島ですから、広島県がそれを譲渡される。県立大学は進めていきます。これは我々の考え方でも地方分権という考え方に基本的には合致します。だから基本的に民営化で、地方から希望があれば公立化。大半の大学はそうして日本の国の管轄から外してもらいます。
いま日本の国立大学および関係機関には年間 2兆7000億円ぐらい(平成12年)の予算がつけられています。その中の1兆5500億円ぐらいが大学の予算の支出ですので、それを10分の1にすれば
1500億円にすることができます。日本の知的エリートをそこで養成するとなれば、それに500億円足して、2000億円程度は必要となってくると思います。1兆5500億円から2000億円ひいた残りの1兆3500億円は、全部地方の大学なり私立大学への助成にするわけです。これは大転換ですので、相当議論をした上で、あるいはご批判頂いた上で、政策的に詰めて法律化していきたいと思います。日本の国立大学の半分を民営化する。または公立化するという政策を今回の総選挙政策で打ち立てておりますので、これは相当有権者の関心も得て、ご批判も得ることだと思います。 |
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新しい奨学金制度のプラン
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さて私どもは「奨学金の問題」を政党の政策でも大きな柱にしております。希望をすれば誰でも受けられる。このことはおそらく反対はないと思います。いまの奨学金制度を考えていくと国の政策として日本育英会というものがあります。「育英会」と聞いてどのような意味にとられますか。英才ですね、英を育てる。私はもう何度も文教委員会で「日本育英会は名前を換えろ、日本奨学会にしろ」と言ってるんです。いまの日本の奨学金制度というのは、育英なんです。優秀な人で、かつ家計に困る人。この二つの条件はだんだん緩和されてはいるものの、絶対外せない条件、これが日本育英会なんです。
名前を換えろということは即ち、誰でも借りられるようにということを主張しているのです。昨年4月から日本育英会の奨学金制度変わり受給者が10万人(有利子貸与)増えました。日本育英会が財投から2.2%の金利で借り、それを学生に2.5%ぐらい貸すわけです(有利子の場合)。だから私は有利子でもいいと思うんですが、奨学金を希望すれば誰でも借りられるようにしてもらいたい。また、私はこれだけ借りたいんだと言えば、それだけ貸せるという奨学金。つまり学費、生活費、これ全部借りられますよという制度にする必要があると思っております。
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奨学金返済プラン |
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今日、学費あるいは小遣いまで含めて親が相当負担してるんではないでしょうか。このことは特に大学生を持つ親にとって、ほんとに家計を圧迫しています。40代、50代の方で可処分所得をうんと減らしている部分というのが教育費なんです。これがなければ相当消費は伸びると思うんです。かつて大学は自分の力で行くんだというのが普通だったと思います。ところが高度経済成長によって生活が豊になり、いまや大学は全部親が出すというようになっています。これを転換することはそう難しくないと思うんです。大学は自分の力で行くと。自分で行ける環境をつくればいいのです。だから奨学金は学費を全額賄え、生活費の中で食住の最低部分は賄える、これぐらいのメニューの奨学制度が必要ではないかと思います。
例えば学費に年間180万円ぐらい(現在の私学)。地域によって相当差がありますけれども、生活の最低部分の食住で月10万の120万かかる。そうすると年間
300万円。4年間で言いますと1200万円の借金。ちょっと高めですが金利6%換算で20年の返済を考えます。すると20年で約2000万円で、年間にすると100万円のぐらいの返済になります。自動車のローンよりは高いけど、マイホームのローンよりはずっと安い。このことでその親の世代はまさに大学の教育費の負担から完全に解放されるわけです。
開放された分、可処分所得で消費に回れば景気もよくなるんじゃないかと試算しております。1200万円借りて大学へ行って、20年で返す。その人たちの子供もそうするでしょう。するとその人たちは40過ぎになればそのローンからは解放され、かつ子供の教育費はかかってこないわけですから。20年間がきつければ選択性を取って30年にすればいいのです。このように誰もが借りられる奨学金で、かつ学費は全額賄え、生活費も要るとなれば、生活費も借りられる。将来、自分に投資した分を20年なり
30年かけて返済していくというのは何もおかしな話ではないし、40代、50代の働き盛りの親の家計への大きな部分を占める教育費の負担を軽減する、あるいはなくすことになると思います。さらにこの奨学金制度を民間でやれる制度をとってもいいのではないかと考えます。 |
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奨学金制度のさらなる効果
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国も奨学金制度にかかわればいいと考えます。国がやると、財投から相当安い金利で借りられます。そして個人に貸している奨学金を大学枠ごとに貸す。さらに、各大学がうちの大学では新一年生、入学者に対してこれだけの奨学金枠がありますアピールすればいいのです。
一年から二年になったときに、判定を行い「あなたにはこれだけの奨学金が出せます」「いや、あなたには一銭も奨学金出せません」というふうな差、つまりインセンティブが変わってきます。学生が「その実績を見ていくときに、自分はここに行くと、これだけ金が必要となるが奨学金は受けられない」とか、「こっちへ行けば、それなりに成績をとれるから、ひょっとして全額奨学金が受けられるかな」そういう選択が働いてくると思うんです。これはまさに学生たち、入学する人たちの判断です。これらがちゃんと整備され、最初の混乱の期を過ぎれば、大学側もちゃんと基準を示し、こういう人がほしいと言い、入る側も自分は「あそこは難しそうだけど、こっちならいけると」考え、だんだんマッチングしてくるじゃないでしょうか。
2009年から入学定員と収容人員、さらに入りたい人がイコールになります。これらが私の奨学金と先程の入学定員の理屈につながっています。これは社会経済生産性本部で大分長い間詰められた話を私どもの部会で議論をしたものです。生産性本部の橋爪大三郎先生(東京工業大学)のアイデアを相当お借りしてるんですがなかなかユニークなアイデアです。まぁそれは社会の考え方を相当大きく変えないといけないと思いますが。
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まとめ
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大学は自分の手で、自分の力で、自分が金を工面して行くというのは、いまの学生さんには難しいかもしれません。しかしちょっと前、いまのお父さんたちの時代はそうだったのです。だからこの転換は、そんなに難ものではないと思います。社会の側の転換も同じです。確かに今でも大手の企業の中に、大学の名前は総てふせて、大学で何をしてきたかということを採用基準にされているところもあります。しかし、これからは社会全体が大学へ入るまで勉強をどれだけしたか、大学の4年間でどれだけ勉強したか、場合によっては二年生まではここ、三年生はここの大学でもいいじゃないですか。これらを含めた4年間を評価して受け入れられなければと考えます。
さらに可能ならば、ほんとに企業は通年採用、あるいは一斉採用の場合は9月一斉採用にして頂いき、大学の四年生は学校へ出ないようなこの現状を是非改めていきたいなというのが私なり私どもの主張でございます。今後も皆さまからご意見を政策に反映してまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。。
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| 平成12年2月8日 一橋フォーラム21(於:如水会館)での講演より
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